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中内功さんの事( ちょっと長文)

2008.04.07

この前、溜まりに溜まった名刺を整理していたら中内功さんの名刺が出て来ました。
この名刺は思い出深いというより、私にとって本当に「大切にしてきた一枚」でした。

名刺には「代表取締役会長兼社長」となっています。昔のあのオレンジマークがくっくりと印刷されています。
今から20数年前、ダイエーのお取り引き業者を集めてハワイ・ホノルルで集結するという大イベントがありました。
確か、ジャンボジェット2機をチャーターしたと記憶するので、約1,000名くらいが集結したのでしょうか?
私は当時、20代後半でしたが父の名代として参加させてもらいました。
全国からそうそうたる経営者の中で、ただただ緊張しておりました。
ダイエーが所有していた、あの有名なアラモアナ・センターのパーティー会場で中内オーナーと名刺交換させて頂きました。
長蛇の列をなしての名刺交換でした。私にとりまして「商人の神様」的な存在だったので名刺を差し出した時は、手が震えていたと思います。
その当時の中内オーナーは、凄いオーラがありました。

当時は日本一の流通業だったダイエー。
しみじみこの名刺を見て感慨深い思いにかられました。

また私は亡くなる1年くらい前、東京駅の新幹線ホームで、ばったりとお会いしました。
付き人と思われる方とご一緒でしたが、ハワイでお会いした時と比べ、一回りも二回りも小さくなっておられました。
正直言いまして、私は一種の寂寥感にかられました。
私の心の中の“中内功”さんとは違うと…。

中内功さんに関する本はたくさんあります。
私自身何冊か読みました。
特にこの10年くらいの間に出された本は、どちらかと言えば、批判的な展開が多いように感じます。

また私の恩師や知人はダイエー出身者の方も多く、中内功さんの側近として仕えた方も多くおられます。
それらの人たちから、中内さんのその人となりもよく伺いました。
ある意味、“強烈な人”だった事は疑う余地がありません。
また晩節は、どちらかと言えば、叩かれる事が多かった中内オーナー。

弊社とは、もうお取り引きを戴いておりませんが、それでも私にとっての中内功氏は本当に忘れ得ぬ大きな存在であり、一言で言えば大好きな経営者でした。
中内学園つまり流通科学大学から出版されている「中内功回想録」と言う一冊の本があります。
これは御厨教授(東京大学)をはじめ数名の方とのインタビュー形式の本です。
「オーラルヒストリー」です。
一回目のインタビューは、2005/6/7で、亡くなる直前まで行われました。
先日、ダイエーOBの方からこの本を頂戴しました。
読み上げた後に何か胸に熱いものが込み上げて来ました。
本当に貴重な本です。
そこには「生の中内功」が存在します。

また、先日、たまたま大型書店で中内オーナーが最初で最後である唯一自ら執筆された本「わが安売り哲学」を発見し、購入しました。
初版は1964年(昭和44年)で、有名な本です。
この本は、一度、絶版されていましたが、没後、復刻版として発売されました。

また中内功さんは、亡くなるまで、ずっと好奇心の塊であり、確か引退後の70歳を越えてからも運転免許を取得され、アメリカ大陸を横断する計画だったとの事。
当然、アメリカは車社会なので、自らのハンドルで、自由にアメリカ大陸を横断し、気になるお店を誰に遠慮する事なく視察されたかったのでしょう。
私の父もそうですが、創業者は、それこそ表現は不適切かも知れませんが、「棺桶に入っても、商売が気になる」のかと思います。
中内オーナーにとって流通先進国であるアメリカから多くを学び、それを日本で、大きな志のもと、挑戦されたのがこの方の偉大な生涯ではなかったかと私は思います。

近々にも、この「わが安売り哲学」を読んでみたいと思います。
その感想は、またここでアップします。
また中内功さんについては、またブログにて書きたいと思います。※(写真)は、昭和44年、47歳の時のお写真です。今の私くらいの年齢です。
黒田久一

主夫?

2008.04.06

今週、家内がニューヨーク&ボストンに惣菜視察で行ってたので、ほとんど毎日、お袋が家事をしに来てくれいました。今日は日曜日だったので、朝からちょっとだけ“主夫”の真似事をしました。まず布団を干しました。3年前に自宅を新築しましたが、私の寝室は、ベッドは嫌だったので、畳に和布団で寝てます。三男は自室にベッドがありますが、いつも潜り込んで来て、一緒に寝てくれます(笑)。もうそろそろダメでしょうが…。布団の場合は、引きっぱなしであれば、いかにもだらしなく感じますので、布団を上げる必要がありますが、部屋を広く使えるメリットもありますし、畳の部屋はやはり癒されます。布団干しの後、部屋を掃除機をかけました。またちょうど灯油がなくなったので、石油ファンヒーターも倉庫に直しました。その他食器の洗い物やテーブルの片付けなど。結構、いろいろと家事はあります。それと会社もそうですが5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)は、家庭でも大切ですね。いらん物もたくさんあります。
※写真は、我が家の裏の造成工事の風景です。元々は、郡山城の「外堀」だったので、落ち着いた場所でしたが、そこは私有地だったので、ある不動産会社が一括購入し、宅地の造成をしています。毎日、いろんな小鳥がさえずるような場所でしたが、残念です。黒田久一

商業界スパークル

2008.04.05

今日、夕方、京都の厳島さんからお電話があり(突然の呼び出しがあり)(笑)、奈良の若草山の旅館に出向きました。
厳島さんは、商業界スパークルの大先輩です。この商業界スパークルと言うのは、全国の商人の二世の研鑽会の集まりです。私は22期生、厳島先輩は4期生です。商業界は、ご存知のように、雑誌「商業界」「食品商業」「販売革新」「飲食店経営」などを出版していますが、それと「箱根ゼミ」と呼ばれる大研修会が毎年2月に開催されています。
この「箱根ゼミ」は、ダイエーの中内功さんも、ジャスコ(イオン)の岡田卓也さんも、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊さんも流通大手の多くの企業が、まだまだ商店と言われる小さい規模の頃から参加されていました。私も参加した事があります。参加のきっかけは、私が飛び込み営業した飲食チェーンの経営者からのお誘いでした。その研修会は、毎晩、“車座”になって商売の悩みを同友に相談したものです。今は場所は変わりましたが、毎年行われています。日本の商業史に大きな功績を残しました。
その中で二世教育をするのがスパークルという団体です。私は20年前の平成元年の卒業生です。同期は15人ほどでしたが、一年間、倉本初夫先生のもと、2ヶ月に一度の割りで、研修合宿がありました。
仲間は業種もバラバラで八百屋もおれば、眼鏡屋も靴屋も呉服屋も酒屋も飲食店もといろいろでした。
私は結婚してすぐに入会しましたが、今も同期の連中とは、交流があります。それぞれが、商売の後継をするのに必死であった多感な時代を一緒に過ごし、また、業種は違えど、抱えている悩みが同じ事が多く、互いに励まし合ったものです。また「商売十訓」と呼ばれるものを唱和します。“損得より先に善悪を考えよう”から始まります。私は気恥ずかしい気持ちで唱和したものですが、今、何度読み返しても、決して褪せる事のない“黄金律”です。今は、それを心から理解できる自分がいます。
スパークルの友人は、学校時代の友人とは、また違う、“商人の同志”のような存在です。

そのスパークル活動で3期生~25期生までのお世話役をして頂いたのが、前田さんです。前田さんが関西旅行にアメリカのご友人(ニューハンプシャ-の方)と共に来奈され、その旅先案内人を厳島夫妻がされていました。旅館で集合し、いろいろと久々にお話をする事ができ、楽しい一時を過ごす事が出来ました。
今、日本の商業は大変厳しい状況ですが、いつまでも、こうして交流できますことは有難いと思います。

厳しい中にも「時代の変化対応」をしながら、私は事業を継続し、発展して行きたいと思います。 前田さんとアメリカのご友人の明日以降の大和路の旅が素晴らしい事をお祈りします。(写真)右からラブラブの厳島先輩ご夫妻、前田さんのご友人、前田さん。場所は若草山の山頂近い、「遊景の宿・平城」にて。桜が絶好の見頃であった事と夜景が素晴らしい絶好のビューポイントの宿でした。※それぞれの方々には、私のブログ掲載をお断りしています。黒田久一

黒田 久一

黒田 久一

惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。