
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2018.12.30
いよいよおせち作りがピークに
恒例ですが、弊社グループの味の大和路のお節が本格的に生産が始まりました。
今年もたくさんのご注文を頂き感謝申し上げます。
準備は、ほぼ1年間、つまり、毎年、正月明けから反省会をし、毎月のように会議を積み重ねて来ました。
惣菜事業の集大成でもあります。
あとは、キチンとお客様のところに届けられるよう努力して参ります。
黒田久一
2018.12.27
久しぶりにブログ更新させて頂きます。
本年も残すところあと5日となりました。
平成最後の年末です。
さて、ご報告があります。
創業でもあり、私の母、黒田竹美が、11月14日に旅立ちました。
先日の第70回「惣菜のわかる八百屋塾」の前日でありました。
いつも笑顔の素晴らしい母でした。
本日で、満中陰法要も無事に終えることが出来ました。
「平成」という一つの区切りをまもなく迎えます。
弊社フルックスグループの創業者の4人の遺志をしっかりと受け継ぎ、新年度以降の新たな未来に、これからも、一歩ずつ前進して行きたいと思います。
下記、告別式当日にご弔問の皆様に配布させて頂いたお手紙です。
ご一読いただければ幸いです。
フルックスグループ
代表 黒田久一
母、黒田竹美は、平成30年11月14日午前11時7分、家族に看取られながら、
静かに旅立ちました。
昭和7年生まれの満86歳の生涯でした。
ちょうど10年前、不慮の事故で脳挫傷となり、一時は、脳死に近いと判定されながらも、奇跡的な快復を果たし、10年間、病床から、家族を、そして、心から愛する会社や社員たちをずっと見守ってくれていました。
昨年、平成29年5月16日、同じ病院でお世話になっておりました父が旅立ちましたが、病院のご配慮で、最期は、同じ病室で過ごすことが出来ました。
想い起こすと母はとても優しい性格でした。とても厳格な父とは対照的で、私も姉も、小さい頃から怒られたり、勉強をしなさいなどと、言われた記憶が全くありませんでした。
会社でも同じで、商売に厳しく向き合う父の裏方には、常に優しい母の存在がありました。
両親は、本当に名コンビだったような気がします。
母は、愛媛県温泉郡中島町(現松山市)の怒和(ぬわ)島と言う、小さな島の出身です。
そこは、中島みかんの産地であり、母は農協の職員として働いていました。
父は、大手青果荷受会社のセリ人でした。みかん産地で出会い結婚しました。
二人ともみかんのプロでした。
母は、旧満州(中国黒竜江省)のハルピンで幼少期を過ごしました。
終戦直前に母親をハルピンで亡くし、命からがら、父親と6人の兄弟姉妹と共に引き揚げて来ました。
私は、幼い頃、そのハルピンの話をよく聞かされていました。
極寒の地であるハルピンでは、真冬になると、雄大な大河である松花江(しょうかこう)は、かちんこちんに凍り、そこでよくアイススケートをしたらしいです。
今、想い起こすと、母の優しさは、温暖な瀬戸内で育まれ、一方、強靭な粘り強い精神力は、極寒の地ハルピンで身に付いたのではないかと思います。
来年の桜の花が綺麗な頃、両親の遺骨を穏やかな瀬戸内の海に、そして、ハルピンの松花江の大河に散骨したいと思います。
昭和39年に、両親と二人のパートナーのたった4人で興した三晃青果株式会社も、おかげさまで、今年で設立55年目となり、今では、社員数140名、パートさん700名余りの会社になりました。
両親への一番の供養は、この会社を永続的に発展させることかと思います。
これまで、黒田竹美、黒田一郎にたくさんのご厚誼を賜り厚く御礼を申し上げます。
両親なきあとも、引き続き、皆様とのご縁を大切にし、お力添えを心よりお願い申し上げます。
竹美愛用の小切手用チェックライター
黒田一郎・竹美 揃って見送りました
2018.11.12
【マーケットバスケット】
マーケットバスケットの本社は、とても質素な平屋建てでした。
今年の1月中旬です。
レンタカーでかなり回りました。
たまたま、日曜日に本部をのぞきに行きました。
すると、スルッとドアが開きました。(笑)
中に、マーケットバスケットの歴史的な展示物があり、
そこで記念撮影をしました。
太田美和子さんの翻訳本、ぜひお読みください。
マーケットバスケットをこよなく愛する奈良の八百屋より(笑)
ハーバード大学の生協内で、原書を買いました。
弊社の応接室に飾ってあります。
I’m At Your Service.
商売の原点かと思います。
今年3月末の弊社グループの経営計画発表会の時に
社員に配布したペーパーです。
ご笑覧ください。
黒田 久一