
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2008.09.12
今日の午後から「第55回 外食産業フェア」に行って来ました。
会場は、インテックス大阪でした。
大手メーカーを中心に食品メーカーさんの展示会です。
会場に入って、「う~ん?」と思いました。
大変失礼ではありますが、“活気”が感じられなかったのです。
会場を歩いていると当然知ってる方がたくさんいらっしゃたので、私の感想を述べさせて頂きました。
そうすると
・他の場所でも同時期に別の食品展示会があった事。
・出展企業数が昨年より減ったので、余計にガランとした感じを受けるのではないかと。
なるほどと思いながらも、やはり熱気ムンムンは感じられなかった。
外食産業の低迷ぶりを新聞記事でよく目にするからでしょうか?
私が先入観を持ってるのかなと。
会場でお会いしたある大手メーカーの上層部の方のコメントが非常に印象的でした。
「この一年は、とにかく値上げ対応に追われました。つまり新規商品を案内すると言う“商売”が全く出来なかった。問屋さんも動けなかった。そんな一年だったんです。」と。
このコメントは、実感が感じられました。
でも、まあ、商売は、“勢い”と“元気”が必要だと痛感します。
黒田久一
2008.09.12
大阪の堺市に有名な一膳めしやさんがあります。
その名も「銀シャリ屋 ゲコ亭」
もう50年も前から開業しているそうです。
このあたりの人なら誰しも知ってる、一膳めしやさんです。
今日、久々に堺方面に行く用事があり、家内と食べに行きました。
先月、うっかり行ったのですが、あいにく閉まってました。
この店は、驚くなかれ、毎年6~8月末まで、「米」が美味しくない3カ月間は、お店を休みます。また毎週火曜日と水曜日は、きっちり休み、昼も売り切りゴメンの商売を貫いています。ようやく新米も入り、久々に9/1から営業再開しました。
店名の通り、ご飯にはこだわっておられます。
おかずは、定番中の定番しかおいてません。特段、何かあるかと言えば何もありません。卵焼きがあり、てんぷらがあり、肉じゃががあり、糠漬けの漬物があり、高野豆腐の炊いたのがありと…。
とってつけたような販促物もなければ、○○フェアなんてコジャレた事なんかは一切やってません。
言ってみれば、ごくごくありふれた一膳めしやであり、流行り廃りが全くないと思います。
ちょっと年季が入った色褪せた壁のお品書きに「かんとだき」と書いてあり、思わず、笑みがこぼれました。お品書きは縦書きで、赤の縁がある、昔ながらのあのお品書きです(笑)。
昔は関西人は「おでん」なんて言わなかった。
「かんとだき」でした。「=関東炊き」です。
多分コンビニの影響からだと思います、「おでん」と言い出したのは…。
頑なに「かんとだき」と貼ってくれてあったので、何となく嬉しくなりました。
ある意味、何十年も変化はしていないのかもしれませんが、一方、迎合もしないようなポリシーすら感じます。
また決して“無理”をしない。「米」が美味しくない時は、休む。売り切れたらのれんを下ろし、閉店する。
そんな感じです。
今、大問題になっている事故米による偽装事件。
正直言いまして、これだけ世の中が、昔の物差しが通用しない時代になっているのに、事故米を食用として不正流通させる。
道徳的な事は当然ではありますが、商売センスと言えば、不謹慎な表現ではありますが、こんな事が通る筈がない事くらい経営者は理解できないのでしょうか?
命取りになる事くらいに理解できないのでしょうか?
それだけ経営的に追い込まれていたのが実情かもしれませんが…。
ゲコ亭の親父が50年以上も同じ商売が続けて来れたのは、決して“無理”をしなかったからだと思います。
“無理”をするとどうしても後で辻褄が合わなくなる。
今日、いろいろと一膳めしやで考えました。
黒田久一
2008.09.11
一昨日、昨日と社員共々5名で、業務用青果物(カット野菜事業を含む)事業をされている企業を3社、表敬訪問させて頂きました。
目的は、弊社新工場が竣工後、来月でちょうど一年になり、再度、わが社の「ダメさ加減」に気付きたかった事、そして道中で、いろいろとワイワイガヤガヤと一緒になる事で「思いの共有化」をしたかった事、そして、入社年次の若い社員を外に連れて行き、刺激を感じて欲しかったからです。
三社三様、本当に素晴らしい企業さんばかりでした。
当然、それぞれには独自の「社風」=「企業文化」があります。
それは滲み出て来るようなものかと思います。
私はいろんな企業文化に触れさせて頂く事で、心からたくさんの刺激を頂戴できました。ありがとうございました。
また社員たちもたくさんの収穫があったようです。
弊社のカット野菜事業部は、もうかれこれ25年くらいになりますが、ようやく、何とか「事業化」できるビジネスになりうると最近感じて来ました。中には上場企業もあります。
それまでは、カット野菜事業は、どちらかと言えば、やはり片手間の事業であったのが実状です。
写真は、今回お邪魔した一社の会議室に掲げられていた古い壁掛け時計でした。
元々は、社長様のご実家は老舗の時計店だったとの事でした。
その歴史が書かれたペーパーも頂きました。
改めて商売とは「時代と共に変化するもの」を実感致します。
先日、ベトナムに行った際に、いろんな屋台の写真を掲載させて頂きましたが、私の祖母(弊社創業者の母)は、大阪の中之島の橋のたもとで、ゴザを敷き「眼鏡商」をやっていたと、祖母から小さい時、その頃の話をよく聞かされました。まあ露店商みたいなもんだったと思います。
私の実家には真鍮で出来た筒状の円錐形の道具がありました。
それはセルロイドで出来た眼鏡フレーム(丸眼鏡)を調整する為の道具でした。
祖母は道具を片手によく説明してくれたものです。
この筒の中にろうそくをいれ、その熱が真鍮を熱くし、目盛りに沿って、サイズ合わせをすると。
そして私に「昔は、眼鏡屋、よう儲かってん」と(笑)。
表敬訪問させて頂いた先で拝見した壁掛け時計を見て、思い出しました。
黒田久一