
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2014.05.30
昨日は、箱根で、商業界(出版社)の主幹であられた倉本初夫先生のお墓参りでした。
昨年、12月に89歳でお亡くなりなられました。
初代商業界主幹が、倉本初夫先生のお父さんでもあり、倉本長治先生です。
日本の商業史に多大なる影響を与えられた方です。
毎年、真冬の2月の商業界の「箱根ゼミ」という2泊3日の研鑽会は「商人のお正月」とも言われて来ました。
イオンの岡田さんも、イトーヨーカ堂の伊藤さんも、ダイエーの中内さんなど、流通業のそうそうたる方々の多くが参加された勉強会です。
夜は部会が開かれ、まさしく、皆さんが、車座になって、悩みを共有し、将来の夢を語り合いました。
私が、「箱根ゼミ」に、最初に参加させて頂いたのが、26歳の時でした。
私は、デニーズを退職し、中央卸売市場の青果仲卸業の奈良三晃に入社しました。
入社早々、飛び込み営業で行った先が、奈良県のあるレストランチェーンでした。
私は、創業者の長男でありながら、26歳まで、中央卸売市場にもほとんど行かない、学生時代に手伝いも一切しない、トラックにも乗れない、符丁も知らない、とにかく、ないない尽くしの中での、遅まきの“市場人”としてのスタートが、26歳の時でした。
そして、入社早々、一つの手柄を立てたくて、その時に、初取引をして頂いたのが、そのレストランチェーンでした。
とても嬉しかったです。
そこの社長様が、仕入先と言う以上に、それ以来、私をまるで、弟のように可愛がって下さいました。
その社長に、勧めらままに行ったのが、箱根ゼミであり、スパークルという「2世研鑽会」でした。
そして、初めて「商売十訓」を唱和した時、素直に感動しました。
「商売という、どちからと言えば、裏家業のような後ろめたい世界に、こんな崇高な理念があることに…」
本当に人生の転換点は、何が、きっかけになるかわかりません。
その社長は、京都の祇園にも、何回も連れて行ってくれました。
美味しいものをたべること、経営者の2世として、一流に触れることの大切さを教えて頂いたような気がします。
最初は、べっぴんさんの芸子さんに(笑)、どう接していいのか分からず、最初は、行くのが億劫なくらいでした(笑)。
スパークルは、私にとりまして、精神的支柱であり、間違いなく、私の人生に影響を与えて頂きました。
そのスパークルを率いて下さった倉本初夫先生です。
久々にOBが、全国から集まり、お墓参りに参りました。
箱根にある倉本家のお墓には、「店は客のためにある」の石碑があります。
昨晩は、スパークルメンバーが、夜遅くまで、倉本初夫先生の話やら、商売の話やら、後継者の話やら、夜遅くまで、話に花が咲きました。
倉本初夫も天国で喜んで頂いていると思います。
「店は客のためにある」の精神は、私たちが、引き継がねばなりません。
黒田久一
2014.05.30
箱根湯本からの帰りは、箱根登山鉄道にて、小田原へ
そして、小田原から、ひかりで、名古屋で、のぞみに乗り換えて、帰奈致しました。
名古屋駅で「天むす弁当」(570円)を購入し、新幹線車内で、さっそく食べました。
美味しかったです。
そして京都経由で、近鉄で、大和西大寺へ
その大和西大寺駅で、「まほろば列車」を発見!
列車のボディには、万葉集が…。
近鉄さん、なかなかやりますね(笑)。
たぶん、日本一?、高尚な列車?かもしれませんね(笑)。
黒田久一
2014.05.28
東京駅には、年に、何回も行くのに、意外にも降りることはありません。
降りる場合は、たいがい、八重洲口側です。
昨日、久々に、丸の内側(南口)に降りました。
確か郵便局の本局があった場所に高層ビルが…。
http://jptower-kitte.jp
そこはオシャレな複合ビルに変わってました。
ビルの名前が「KITTE」つまり切手に引っ掛けているんでしょうね。
そこは、昔の外観部分は残し、最新のビルをくっ付けたような…。
国鉄がJRになり、郵便局も、民営化に進み、みなさん、なかなか、やりますねぇ(笑)。
昔、バックパッカー時代、いろんな国をまわりましたが、やはり、郵便局は、その国を象徴するだけに、私的には、あんまり“お金儲け”せずに(笑)、歴史的建造物をそのまま残して欲しいという、ノスタルジックな気持ちになりました。
黒田久一