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2010年

ちょっと一息

2010.09.12

大変、ローカルの話で恐縮です。

自宅からすぐのアピタ大和郡山店で毎月一回、ミニコンサートがあります。

「LOVE&PEACE」と言うグループです。

アマチュアの方々だと思います。

いろんな曲をカバーしてくれます。

僕は、このグループが好きで、ちょくちょく聴きに来ています。

今日も、
①サザンオールスターズ/TSUNAMI

②アンジェラ・アキ/手紙

③ファンキーモンキーベイビーズ/あとひとつ

④一青窈/ハナミズキ

⑤中西保志/最後の雨

⑥GReeeeN / キセキ

⑦ファンキーモンキーベイビーズ /大切

⑧嵐/わんらぶ

などを40分くらい、熱唱されました。

皆、楽しそうに熱唱されています。

久しぶりに一息つきました。

隣のスタバでカフェアメリカーノを飲みながら…。

もうそろそろ秋ですね。

黒田久一

ロックフィールド

2010.09.10

本日、奈良経済同友会にて、ロックフィールドさんの本社である神戸ファクトリーを表敬訪問させて頂きました。

http://www.rockfield.co.jp/

創業者の岩田社長様のご講演は、本当に素晴らしかったです。

惣菜にかける情熱、そして、近代化への並々ならぬ努力…。

一代で、これだけの会社を作られ、本当に凄いです。

ロックフィールドさんは、言うなれば“形を変えた八百屋”です。

入口のポスターにもあるように“サラダ・カンパニー”だと。

つまり“八百屋”です。

ある意味、同業者です。

今日の工場見学については、Webカメラによる“工場見学”でした。

それも、神戸本社の会議室から、野菜処理の主力工場である静岡工場をリアルタイムの“生映像”で、見学させて頂きました。

それも、自在にズームアップしながら、工程を見せて頂きました。

手元の作業の細部に至るまでが“生映像”で、見る事が出来て、大変勉強になりました。

岩田社長と名刺交換もでき、直接、お話もできました。

名刺交換の際「奈良で八百屋をしています」と私が自己紹介したら、ちょっと驚かれた様子でした。

まさか、経済同友会のメンバーで、八百屋が参加しているなどとは、思いもよらなかったのでしょう。

私は、工場見学後、しばらく、興奮状態から抜け出せずにいました。

ただただ感動しました。

ちなみに本社工場も静岡工場も安藤忠雄さんの設計です。

南京町の「神戸コロッケ」の一号店のリニューアルも、つい最近、安藤忠雄さんが手がけられました。

今日、ロックフィールドさんの工場を見学させて頂いて、私は、しみじみ、弊社のHMR事業部を創業できた幸せを感じました。

これは偶然から生まれた商売ですが、HMR事業部、つまり「中食向けの八百屋」を目指しての20年でした。

現在、グループ全体の売上の半分くらいを占めるまでに育成する事が出来ました。

しかしながら、まだまだです。

本当にまだまだです。

今年のように原料高で、大変苦労をしておりますが、こんな時こそ、揺るがず、信念を持って、これからも頑張って行きたいと思います。

本日、岩田社長とお会いでき、あらためて、10年先、20年先を展望出来るようなビジネスをやりたいと言う決意を致しました。

「惣菜のわかる八百屋」

の実現を目指して、突き進んで行きたいと思います。

この領域では「日本一の八百屋」になりたいと思います。

感謝。

黒田久一

鹿児島にて- サツマイモと知覧特攻記念館

2010.09.08

今日は、私を含む社員4人で鹿児島のサツマイモ産地に来ています。

今回の目的は、サツマイモ関連の商品企画の打ち合わせをする為です。

今から20年くらい前から弊社は「天ぷら材料」ビジネスに参入しました。

しかしながら当時は、春先からお盆明けくらいまでのサツマイモの端境(ハザカイ)期に、大変苦労していました。

この端境期の芋は、品質不良(スが入ったり、腐り)で、出荷する度に、クレームと返品の続発で、せっかく、他の天ぷら材料で儲けた利益も吹き飛んでしまうような状況でした。

その後、いろんな取り組みもあり、現在は、安定出荷出来る体制が、ようやく構築出来ました。

しかしながら、サツマイモは、奥行きの深い商材であり、まだまだ用途開発(天ぷら商材以外の商品)も出来れば、圧倒的にサツマイモの扱いが増えます。

これからもいろいろとチャレンジして行きたいと思います。

さて、私や原料担当社員は、何度も鹿児島には来てますので、知覧の特攻平和記念館には、来た事があります。

しかしながら、今回、同行した品質管理室長は、鹿児島そのものが初めてであり、せっかくだからと、途中知覧の平和特攻記念館に立ち寄りました。

今日は、学生さんがいっぱい見学に来られていました。

私は、毎回、ここに来る度にいろんな思いを感じます。

一番若い特攻隊員は、17歳だったんですね。

それぞれの辞世の手紙(句)は、見事なまでの達筆で書かれていて、あらためて当時の日本人は、本当に凛としていたんだなぁと思います。

このような施設は、強制して(押し付けで)、感じるべきでないと私は思うので、それぞれが自由行動として、各自で見学しました。

一番下の写真は、出撃直前に寝泊まりした「三角兵舎」です。

各自、それぞれ、いろんな事を感じたみたいです。

黒田久一

黒田 久一

黒田 久一

惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。