
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2010.04.27
今回の旅の最後の視察先になりました。
中国語で、イトーヨーカドーを
「伊藤羊華堂」と表記します。
北京には、既に、10店舗あるようですが、私が、訪れたのは朝陽区にありますお店でした。
北京進出の2号店目(2001年のオープン)ですが、売上規模では最大店舗との事です。
食品売場は、さすがだと感じました。
今回の視察先では、一番レベルが高いと思います。
また来店客も多かったです。
寿司コーナーでは、何故か、北島三郎の“ど演歌”(笑)が、ガンガンに流れていました。
惣菜類もかなり充実していました。
私は、大学を出て、最初にお世話になった会社が、イトーヨーカドーグループのデニーズでしたので、どうしても、心情的に、この“ハトのマーク”を見ると愛着が湧いて来ますが…。
日本を代表されるイトーヨーカドーでさえ、国内では、以前のような成長性を期待できる状況ではありませんので、いち早く、海外市場、それも中国での市場参入をされたのは、正解だったと思います。
今回の道中で日経ビジネスの「徹底予測・中国ビジネス」と言う臨時増刊号の中で、カゴメの喜岡会長は、これからのカゴメの生き残り策は「ナショナル・ブランド(NB)ではなく、アジア・ブランド(AB)を目指さないと生き残れない」と。
“ナショナル“つまり国内だけの事業では、当然、企業の成長に限界があると。
それを裏付けるようにイトーヨーカドーの店内には、カゴメの特設コーナーが、DVDの映像と共に展開されていました(真ん中の写真)。
キューピーも、いち早く中国に進出しています。
地下鉄駅の構内で、キューピーの広告を見ました(下の写真)。
食の急速な欧米化に伴い“生食文化”も拡大しつつあります。
先日、キューピーの社員の方で親しくさせて頂いている方もタイのバンコクに転勤されました。
カゴメやキューピーのような加工食品の業界では、当然、アジアを目指さないと生き残れないと思います。
しかし、弊社のような“生”を扱う商売で、海外展開するのは、かなり難しいと思います。
ましてや資本力も人材力も乏しいです。
やはり、
『Think global,Act local.』
「世の中(世界も含む)の動きを察知しながらも、足元の商売に徹する」事が、弊社のような中小零細企業の生き残る道かもしれません。
今回の旅は、イオングループの植樹祭に始まり、流通視察、そして、ご一緒させて頂いた方々とも、いろんな情報交換が出来ました。
また、個人的には、母の第2の故郷である黒龍江省の哈爾濱(ハルピン)にも訪問出来たのも良かったです。
今から帰国の途につきます。
黒田久一
2010.04.26
「満鉄・ヤマトホテル」
これはハルピン駅前にありますホテルの入口です。
1903年に竣工し、1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)まで、満鉄(満州鉄道)が経営する「ヤマトホテル」でした。
当時の満鉄と言えば、栄華を誇っていたのだと伝え聞きます。
今も「龍門ホテル」と言う名前で経営されています。
黒田久一
2010.04.26
「開拓者精神」
まもなく北京に戻ります。
今、ハルピン市内から空港(中国語では:机場)にタクシーで向かっています。
空港は、市内からは50キロ程、離れていて、その車窓から見える景色は、大平原であり、穀倉地帯です。
私は、戦後世代でありますし、歴史の詳細は知りませんが、こんな寒いところに、たくさんの日本人が来ていた事に驚きます。
満州国は、ある意味、侵略国家なのでしょうが、お袋の一家は、ただ一市民として、夢を追い掛け、この地に来たのだと思います。
いわゆる、純粋に「一旗挙げようと」
母の生き方やその正確を見ていて、細かな事にくよくよしない、常に、前向きに、未来に向かって行く生き方は、僕にも引き継がれているような気がします。
そして、僕の血には、そんな家系の「開拓者魂」つまり、フロンティア・スピリットの血が流れているのかもしれません。
母は、父が青果荷受会社を退職し、興した事業(市場の青果仲卸業)のまさしく“裏方”に徹していました。
母なくして現在の商売の基盤は、あり得ません。
ずっと一人で、資金繰りもこなし、また、父は創業者らしく、しょっちゅう、社員たちに爆弾を落としていたので(笑)、いつも“裏方役”で、その社員たちをいたわるような役割をしていました。
まぁ“夫婦漫才”のようなもんでしょうか?
ボケとツッコミ。
会社のホームページを利用して、こんな身内話をさらけ出し、今回の「哈爾濱紀行」をダラダラと書いて…。
こんな事まで書いてしまっていて、どうなのかと思ってしまう自分もいますが、やはり創業者に対する畏敬の念は、大切にしたいと秘かに(笑)思っています。
親子なので、ストレートには、そんなしゃらくさい事は、口が割けても言えません。
まぁ、母は、立派な創業者の一人であるので、ダラダラ文をお許し頂きたいと思います。
さて、今回のハルピン再来は、いろんな事を考えながら、回りました。
ハルピンに初めて来た9年前は、ある漬物会社の社長のお誘いで、中国に来ました。
その方が中国に会社を設立する予定で、同行させて頂きました。
その社長とは大連で別れて、私は、その後、一人で緊張感の中、産地視察をし、転々と中国各地を移動した事を思い出します。
あの時の視察のお陰で、弊社は、「冷凍の天ぷら用サツマイモスライス」の開発輸入する事ができるようになりました。
またサツマイモ産地を確保する事が出来ました。
商売には、いつの時代にも、常に「開拓者精神」が必要だと思います。
中国の大地で育った母を誇りに思いつつ、わがフルックスグループは、これからも邁進して行きたい(行かなければならない)と感じています。
写真は、哈爾濱駅です。
敗戦のどさくさの中、引き揚げの際は、ここから列車に乗り、大連に向かったと思います。
大変だったと思います。
黒田久一