
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2010.04.26
「旧桃山小学校」
これは、お袋が通っていたと思われます小学校です。
帰国後、写真を見せ、確認したいと思います。
石碑には、1923年竣工とあり、大正時代の建物です。
今も立派に小学校として活用されています。
今日は、月曜日なので、運動場では、たくさんの子供たちがいました。
黒田久一
2010.04.26
「満鉄・ヤマトホテル」
これはハルピン駅前にありますホテルの入口です。
1903年に竣工し、1937年(昭和12年)から1945年(昭和20年)まで、満鉄(満州鉄道)が経営する「ヤマトホテル」でした。
当時の満鉄と言えば、栄華を誇っていたのだと伝え聞きます。
今も「龍門ホテル」と言う名前で経営されています。
黒田久一
2010.04.26
「開拓者精神」
まもなく北京に戻ります。
今、ハルピン市内から空港(中国語では:机場)にタクシーで向かっています。
空港は、市内からは50キロ程、離れていて、その車窓から見える景色は、大平原であり、穀倉地帯です。
私は、戦後世代でありますし、歴史の詳細は知りませんが、こんな寒いところに、たくさんの日本人が来ていた事に驚きます。
満州国は、ある意味、侵略国家なのでしょうが、お袋の一家は、ただ一市民として、夢を追い掛け、この地に来たのだと思います。
いわゆる、純粋に「一旗挙げようと」
母の生き方やその正確を見ていて、細かな事にくよくよしない、常に、前向きに、未来に向かって行く生き方は、僕にも引き継がれているような気がします。
そして、僕の血には、そんな家系の「開拓者魂」つまり、フロンティア・スピリットの血が流れているのかもしれません。
母は、父が青果荷受会社を退職し、興した事業(市場の青果仲卸業)のまさしく“裏方”に徹していました。
母なくして現在の商売の基盤は、あり得ません。
ずっと一人で、資金繰りもこなし、また、父は創業者らしく、しょっちゅう、社員たちに爆弾を落としていたので(笑)、いつも“裏方役”で、その社員たちをいたわるような役割をしていました。
まぁ“夫婦漫才”のようなもんでしょうか?
ボケとツッコミ。
会社のホームページを利用して、こんな身内話をさらけ出し、今回の「哈爾濱紀行」をダラダラと書いて…。
こんな事まで書いてしまっていて、どうなのかと思ってしまう自分もいますが、やはり創業者に対する畏敬の念は、大切にしたいと秘かに(笑)思っています。
親子なので、ストレートには、そんなしゃらくさい事は、口が割けても言えません。
まぁ、母は、立派な創業者の一人であるので、ダラダラ文をお許し頂きたいと思います。
さて、今回のハルピン再来は、いろんな事を考えながら、回りました。
ハルピンに初めて来た9年前は、ある漬物会社の社長のお誘いで、中国に来ました。
その方が中国に会社を設立する予定で、同行させて頂きました。
その社長とは大連で別れて、私は、その後、一人で緊張感の中、産地視察をし、転々と中国各地を移動した事を思い出します。
あの時の視察のお陰で、弊社は、「冷凍の天ぷら用サツマイモスライス」の開発輸入する事ができるようになりました。
またサツマイモ産地を確保する事が出来ました。
商売には、いつの時代にも、常に「開拓者精神」が必要だと思います。
中国の大地で育った母を誇りに思いつつ、わがフルックスグループは、これからも邁進して行きたい(行かなければならない)と感じています。
写真は、哈爾濱駅です。
敗戦のどさくさの中、引き揚げの際は、ここから列車に乗り、大連に向かったと思います。
大変だったと思います。
黒田久一