
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2010.06.10
個人的な事で恐縮です。
野菜の事でも惣菜の事でもありません。
健康の事です。
今日、私の母と姉の2人が、手術を致しました。
母は「腸ろうの増設手術」を受けました。
姉は「副鼻腔炎の内視鏡手術」を受けました。
朝一番で、姉の嫁ぎ先の大阪の堺の病院に父と行き、励ましながら、手術を終わるのを待つ事なく、今度は、お袋の入院している私の自宅近く(奈良県大和郡山市)の病院へ。
母は、今から、1年半前、不慮の事故で脳挫傷となりました。
奇跡的に意識は回復し、冗談が交わせるくらいに元気になりましたが、まだ、咀嚼機能が回復せず、鼻からの栄養補給に頼っています。
本来ならば「胃ろう」と言って、胃からの栄養補給をしますが、母は私と同様に、胃ガンを患い、それが出来ないので、鼻からチューブを入れて、栄養を補給してもらっていました。
腸ろう手術は、難しくはないと聞きますが、積極的な姿勢ではやらない病院が多いようです。
私たち家族は、何とか、鼻からのチューブを解放してやりたくて、主治医(脳外科医)の先生と話し合いを重ね、ようやく手術をして頂きました。
それが「腸ろう増設術」です。
幸いにも無事に終わりました。
数日、様子を見て、腸からの栄養補給が大丈夫なら、鼻からのチューブが抜かれます。
実に1年半ぶりの解放です。
ものすごく不快だったと思います。
今後、ゼリー程度からでも、少しずつ、食べる練習も出来ます。
私たち家族にとっては、大変、大きな前進です。
姉は、昔で言えば、蓄膿症です。
偶然にも同日の手術となりましたが、私は、躊躇なく、それぞれ、やって頂こうと「ダブル手術」となりました。
2人とも、成功し、ホッとしています。
あらためて健康の大切さを感じるのと同時に、やはり、お袋なんかを見ていて、人間は“食べる事”の大切さを痛感します。
今、病院の部屋でブログ更新しています。
夜の10時ですが、お袋に長時間付くのは、久々です。
ちょっとずつ、前進して欲しいと願っています。
黒田久一
2010.06.09
今日は、神戸の流通科学大学内にあります「中内記念館」に参ります。
弊社は、昭和39年の創業間もない頃から、ダイエーグループ様に対しまして、果実の納入で、会社を大きくして頂きました。
わが社は、まさしく、ダイエーと共にありました。
かなり昔の話ですが、確か、平成元年頃、ダイエーの全国の取引業者が、多数、ハワイに集結しました。
ダイエーが絶頂期の頃でした。
私は、父の名代として、そのツアーに参加しました。
ジャンボ機をチャーターしての大ツアーでした。
全国のそうそうたる、まばゆいばかりの企業のトップの方々が多数参加されていました。
よくよく考えると、当時20代であった私のような青二才をよくも参加させたものだと思います。
私にとりましては忘れがたい大変貴重な経験でした。
そのハワイツアーでは、初日のウェルカムパーティーで、中内オーナーとお名刺の交換をさせて頂いたのが、この写真です。
私にとりましては宝物です。
中内社長は、オーラが漂っておられました。
この方が、あの「流通王」なのかと。
弊社グループは、その後、ダイエーさんとのお取引は、弊社の判断(創業者である父の判断)で、解消されましたが、父も私も役員も、弊社の今日があるのは、ダイエーさんとのお取引が“原点”だと、今でも思っています。
下の写真は、中内功さんやご長男の潤さんなどのインタビュー(オーラルヒストリー)が収められた本です。
オーラルヒストリーと言う手法で、その方の人物像をあぶり出しています。
本当に興味深い内容が綴られています。
私は、今、のめり込むようにして、この本を読みながら、バスにて、神戸に向かっています。
いよいよ、本日の午後、潤さんとお会い出来ます。
ワクワクしています。
黒田久一
2010.06.09
午後から出石そばを食べてから、流通科学大学に行きました。
その道中、
生涯を流通革命に献げた男
「中内 功」
中内功シリーズ第Ⅱ巻
をほぼ読み終えました。
ちなみに、この中内功シリーズの第Ⅰ巻は、
「わが安売り哲学」です。
中内功氏唯一の自著ですが、一度、自らの意思で絶版とされ、その後、2007年に復刻されました。
こちらの本も以前、読んだ事があります。
近いうちに佐野眞一氏の「カリスマ」も読んでみたいと思います。
さて流通科学大学では、理事長の中内潤さん(ご長男)にご講演頂きました。
印象的だったのは「中内功は、経営者ではなかった。事業家だった。つまり数字には弱かったけど、新しいビジネスを作る天才だった」と。
まさしく、そうだったのでしょう。
潤さんと名刺交換させて頂きました。
皆さん、中内功記念館には、是非、一度来てみて下さい。
私は、日本の流通革命の原点は、ダイエーにあると思います。
その館内に
「ネアカ、のびのび、へこたれず」と書かれていました。
分かりやすい、いい言葉ですね。
さすがです。
私は、どんな厳しい時代もそうありたいです。
某国総理大臣は、「最小不幸社会を目指す」
と“不幸”と言うネガティブな表現を使いました。
分かりにくい、ひねった表現を使いました。
もっと分かりやすく、もっと明るくなるような、中内功さんのような言葉を私は使いたいと思います。
黒田久一