
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2009.10.31
明日11月1日より、社内のグループウェアが新しく変更になります。
今までは、役員と営業社員を中心に主に「スケジュール管理」のみとして使っていました。
多機能でありましたが、使いこなせてない機能もたくさんありました。
便利であったのは、主力社員の予定表がいつでもどこでも(海外からでも)見れる事でした。
それと自分自身の時間の使い方を昔よりは、考えるようになりました。
そんな中ではありますが、明日からは、もう少しステップアップしまして、+「SFA」にバージョンアップします。
それと今までは、限定された社員だけであった「グループウェア」は、ほば全社員に展開し、スケジュール管理は一元化します。
そして営業社員を中心に「SFA」もくっ付ける事にしました。
「SFA」は、ご存知なように営業ツールの一種です。
http://www.crm.co.jp/salesforce1/sfa.html
このような仕組みを導入しようとした最大の目的は「情報の共有」に尽きます。
しかしフェイス・トゥ・フェイス(面と向かって)には、こんな道具は勝てません。
事務所を大部屋にしたり、工場を無理して連結させたりしたのは、この為です。
以前のグループウェアも今回のグループウェアもASP(外部サーバーを活用)方式でしたが、今回、会社が変わるので、そのデータが移せないらしく、今日までの私自身の行動予定表を念の為、プリントアウトしておきました。
一体、いつからこのグループウェアにお世話になって来たのだろうかと、自分自身でプリントアウトして行くと、2002年4月20日(土)まで、遡りました。
その日が、記念すべき“初入力”でした。
“初入力”の予定表には、
「14:00~15:00
黒田MG打合せ、グループウェア操作説明」
とあります。
つまり7年半前になります。
私は42歳でした。
当時、私は、社長ではなかったんや(笑)とあらためて懐かしく思いました。
役員の肩書きでもなく、単なる「マネジャー」でした。
その他にもその当月の予定を見ていたら、いろんな事を思い出しました。
そしてプリントアウトした、この7年半の「行動予定表」をパラパラとめくって見て、本当に幼稚な事をしてたなと言う思いと、頑張って来たなと言う思いと、今と全く進歩してないなと言う思いが、複雑に入り交じりました。
明日から新しいグループウェアに、全社員の行動予定が入力される訳ですから、やはり、充実した中身の濃い時間を刻んで行きたいなと、強く、心に誓いました。
黒田久一
2009.10.30
山口出張、2日目です。
昨晩、下関のホテルでテレビをつけてたら「すかいらーく」と言う店名(業態)が、とうとう、昨日で終わりを告げたと言うニュースがやってました。
1970年に一号店ができて以来、日本のファミリーレストラン、いや外食産業そのものを引っ張って来た「すかいらーく」
正直言いまして、本当にさみしい気持ちと、これが時代の流れなのかと、複雑な気持ちで、そのテレビニュースを見ていました。
私自身、大学卒業と同時に入社したのが、デニーズであり、当時は「ファミレス御三家」と言われ、すかいらーく、ロイヤルホストとデニーズがありがありました。
デニーズでは、本当にたくさんの事を学びました。
ちなみに私は、
昭和58年の入社で当時のファミレスの全盛の頃でした。
また私が、入社まもないコック時代に配属になったのが、名古屋の中村店でしたが、そこは、デニーズとすかいらーくが真隣りで、営業をしていました。
そんな立地にもかかわらず(そんな立地だからこそ)、中村店は、中京地区では、一番店でした。
仕事が終わってから、デニーズの社員やパートさんは、すかいらーくで食事をし、すかいらーくの社員やパートさんは、デニーズで食事をしと、お互いに顔見知りになり、情報交換しあい、本当に、のどかで、余裕のある時代だったかと思います。
また弊社では、すかいらーくさん(西宮の鳴尾浜の関西工場)ともお取引を頂いていた時代でありました。
「すかいらーく」と言う業態は、昨日でなくなりましたが、これからは「ガスト」としてやって行くとテレビニュースでは結んでいました。
まさしくファミレスの果たした役割は、外食する事が、まだまだままならない時代に、気軽に家族客を笑顔の食事提供の場として、社会的な機能が十分にありました。
そして時代が変わり、ファミレスは、コンビニや他の業態に取って変わられました。
「変化への対応」
言葉では、簡単であっても中々、やれません。
本当に難しいですね。
商売とは、ある意味、残酷ですね。
写真は、上は、ユニクロの山口本社です。
絶好調企業の“匂い”を嗅ぎたくて…。
今は、山口市のテクノパークに本社を移されていましが、せっかく山口県まで来たのだから、勝手に(笑)、本社前まで行き、記念撮影をさせて頂きました。
それと下の写真は、マックスバリュ西日本のディスカウント業態「ザ・ビッグ」です。
本当に、安いね。
黒田久一
2009.10.29
今日は、ある団体で山口県の下関に来ています。
その団体の大会がありました。
基調講演は、堺屋太一氏による「日本の危機~東京一極集中と改革停止~」と言うテーマでした。
民主党政権になり、大きな変革の兆しはあるが、一番の懸念は、民主党が労組を気にするあまり、公務員改革ができないのではないかと話されていました。
次にパネルディスカッションがあり、中尾下関市長もパネラーとして、出ておられました。
実を言いますと、弊社のケータリング事業部では、下関の唐戸市場様から海産物関係の仕入れをさせて頂いております。
中尾市長は、唐戸市場のご出身で、その子会社の副社長時代に、お知り合いになりました。
今日、中尾市長の経歴を拝見し、あらためて「努力の人」だと知りました。
商業高校卒業後、唐戸市場に入社され、市場の現場で働かれます。
そして働きながら、7年がかりで通信制で中央大学法学部を卒業される。
そして、またまた、働きながら、税理士資格に挑戦され、何と25年もかかって税理士登録されました。
50歳を越えての登録です。
そして市会議員、県会議員になり、議員になられてから、今度は、大学院に挑戦されます。
そして次に下関市長への挑戦。
4年前に挑戦されましたが、あえなく落選。
そして今年の3月に再度挑戦され、見事に下関市長になられました。
苦学の連続で大学院と税理士登録まで見事に実現され、そして民間企業の経営者も経験し、そして行政のトップ(首長)になるとまるで“情熱の塊”であり、感銘を受けました。
こう言う方がトップになった下関市は、必ず、変革する地方都市になると確信します。
今日の大会のパンフレットに下記の吉田松蔭のことばが載ってました。
「志をたててもって万事の源となす 書を読みもって聖堅の訓(おしえ)をかんがう」
意味としまして、
何事をするにも志がなければ、何にもならない。だから、志を立てることが、第一である。書物を読んで、聖人・賢人の教えを参考として、自分の考えをまとめることが大切である。
まさしく下関市長の中尾友昭氏そのものだと思います。
黒田久一