
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2016.09.07
おはようございます。
弊社グループの株式会社三晃のHMR工場(カット野菜工場)内に品質管理室がありましたが、新本社に移転しました。
そこは、今は、ちょっとしたミーティングルームになっています。
今朝、その部屋のホワイトボードに含蓄のある言葉が目に留まりました。
『巧緻(こうち)より拙速(せっそく)』
『6割良いと思ったら、まず、やってみよう』
ある補助事業で、トヨタカイゼン手法を学んでいます。
トヨタマンのOBの方がお二人来られています。
この研修プログラムから、ぜひ、何かを得て欲しいと願っています。
黒田久一
2016.09.04
久しぶりにブログをアップします。
9月からスタートした日経紙の私の履歴書
今月は、吉野家ホールディングス会長の安部修仁さんです。
今年に入り、アイリスオーヤマの大山社長、タイのCPグループの創業者と「私の履歴書」を全て読みきりたい方の連載が始まります。
私は、吉野家の出身の方を何人か存じ上げていますし、また、先日のフードサービス関係の視察で、ロサンゼルスにご一緒したグループの中にも、現役の吉野家の方もご一緒させて頂いたばかりで、親近感があります。
まず、私が、生まれて初めて吉野家の牛丼を食べたのは、確か、浪人生の時に、梅田の予備校の近くにありました吉野家で食べた牛丼が初めてでした。
18歳の頃は、まだまだ食欲旺盛であり、また、当時は、肉にありつける幸せは至上の喜びでした。
初めて食べた牛丼は、私にとりまして衝撃の旨さでした。
「こんな旨いもん食べたことない」と思いました。
その後、大学を卒業し、フードサービス業界に私自身も身を置くことになり、吉野家は、余計に気になる存在でした。
吉野家はご存知のように倒産も経験していますし、BSE事件の時も、かなり、苦労されて来ています。
これから1ヶ月、安部会長の「私の履歴書」を読むのが楽しみです。
写真は、創業の地にあります築地市場内の吉野家です。
第一回目が「一つ極める」です。
ワクワクして来ました。
黒田久一
2016.07.31
久しぶりにブログ更新します。
今月の日経紙の「私の履歴書」は、タイ最大の企業グループであるCPグループの会長であるタニン・チャラワノン(謝国民)氏です。
今月は、月初にアメリカに行き、また、国内出張も多かったりして、なかなか、私の履歴書を読めなかったので、ずっと切り抜きしていました。
2日間ほど、切り抜きが、欠落していましたので、自宅近くの大和郡山市の図書館に行き、日経紙をコピーさせてもらいました。
図書館で1日から、最終日の本日7/31まで、一気に読みました。
私にとりまして、久しぶりに読み応えのある「私の履歴書」でした。
アイリスオーヤマの大山社長の「私の履歴書」も、すべて切り抜いていますが、しばらくは、このお二人の切り抜きは、会社の私のデスク横のボードにクリップで留め置きたい「私の履歴書」となりました。
CPグループは、食品関係の方なら、ご存知かと思いますが、東アジアでは、大変、有名な企業です。
私の履歴書を読むまでは、私自身は、鶏肉を中心にした食品会社だと思っていましたが、創業者は、野菜の種の販売からスタートした華僑の方でした。
中国の広東省の潮州人です。
現在の会長は、創業者の四男ですが、まさしく、東アジアを中心にグローバルに生きた一族です。
野菜の種から、鶏肉、養豚などを垂直的に経営し、低生産性の仕事の自動化に成功し、飛躍的な成長を実現。
その後、食品スーパー(ロータス)や、コンビニ(セブンイレブン)など小売業にも進出しました。
その後、テレビ番組制作、バイクの製造、通信会社の買収、欧州での冷凍レディミール事業買収など多岐にわたります。
「卵は1つのかごに入れてはならない」
これはリスク分散する為、華僑の方々のビジネスに対する考え方です。
弊社グループの創業者である黒田一郎も、常々、この華僑の言い伝え「卵は1つのかごに盛らない」を口にしていました。
CPグループ会長であるタニン・チャラワノンは、ビジネスを継続させる考え方として、
「方法は一つしかない。事業を創造し、生み出し続けるのみだ」と。
世の中が変わり続ける限り、たとえ、しんどくても、
ビジネスを継続するには、
「新しい価値創造に挑戦する」
これしかないと私も心します。
黒田久一