
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2009.07.23
本日、「惣菜のわかる八百屋塾」でした。
今回で、第23回目です。
今日も蓋を開ければ、100名分用意していた資料が足らなくなり(笑)、急遽、印刷しました。
最終的に118名の来場者でした。
最近、ノーエントリーのお客様が多いです(笑)。
でも本当に有難い事です。
今回も双方向でたくさんの「出会いの場」があり、また来場者の方々からたくさんの刺激を頂戴しました。
今日の冒頭の私のご挨拶は、次のお話をさせて頂きました。
友人が教えてくれた話です。
TBS系のドラマである「ROOKIES」の中の主題歌は、GReeeeNと言うグループの『キセキ』とい楽曲です。
先日、その曲がリリースされましたが、初日のダウンロードが、250万ダウンロードを超えて、ギネスに登録されました。
翌日、着うたを合わせて400万ダウンロードを超えました。
昔は、レコードの時代であり、カセットテープの時代であり、そしてCDの時代へ。
今は、インターネット配信を利用しての楽曲の取り込みの時代です。
ハードの変貌、売り方と買い方の変化が起きました。
劇的な変化です。
しかし私たちの八百屋の世界は、ホントに「変化への対応」が遅れています。
やはりこれからも、どんどんと情報を交換し、そしていろんな方々との出会いを通じて、商売のヒントにしたいと思います。
さて次回以降の八百屋塾は、
①8月は、お盆があるので、お休みさせて頂きます。
②9/17(木)は、元ローソン社長の都築先生、
③10/22(木)近畿大学の農学部元教授の米虫先生、
④11/26(木)若菜の元社長の村口雅英氏です。
是非、ふるってご参加下さい。
黒田久一
2009.07.20
写真は、月一回、「はな膳」本店の駐車場にて開催している朝市の様子です。
直営の飲食店の駐車場でやっている朝市ですが、たった2時間の販売時間ですが、結構賑わいます。
スタートして丸一年です。
一度も雨にたたられる事なく、続けて参りました。
この朝市は、新入社員も事務職も役員も関係なく、弊社のグループ社員だけで回しています。
これは売上高や利益を確保と言うより「商いの原点」を確認する場になっています。
私は、「小さな商い」に対してこだわる事こそが大切ではないかと自分に言い聞かせていますが、中々、それが実践出来ていません。
小さな会社なのに、ややもすると他人事になってしまいます。
これからも地道に続けて行きたいと思います。
話しは変わりますが、今日は、和歌山と大阪を結ぶ大動脈である国道26号線を走りながら、いろんなお店をMRしました。
クローズしたガソリンスタンドがいかに多いか!
クローズしたコンビニエンスストアがいかに多いか!
看板が変わった外食店舗がいかに多いか!
本当に「オーバーストア時代」を痛感します!
人口減少時代に突入し、益々、激戦が予想されます。
“嘘っぽいお店”は淘汰される運命にあります。
これからも「商いの原点」を忘れず、やって行きたい、そう強く感じます。
黒田
2009.07.18
今日は、野菜の事でも農業の事でもなく、個人的な事で、大変恐縮です。
今日、私は、お陰様で満50歳となりました。
嬉しいような(笑)、悲しいような(笑)…。
本音は、感慨深く、五十路を迎える事が出来ました。
私は、2005年の9月16日にガン宣告を受けました。
その後、手術を受け、胃と胆嚢を全摘し、無事、手術は成功しました。
私は、それまでは健康そのものであり、病気らしい病気を一度もした事がなく、ストレートにガン宣告を受けた時は、さすがに動揺し、宣告を受けた夜は、悔し涙と不安、そして猛烈な恐怖感で押し潰されそうになりました。
当時、長男は高校2年、次男は中学3年、そして三男は小学2年でした。
その日の夜、悩みましたが、長男と次男を呼び、私の病気の事を告白し、闘う姿勢を宣言しました。
さすがに小学2年生の末っ子には、病気の事を言う事も出来ず、寝顔を見ていたら、またまた涙が止まりませんでした。
私は、9月5日の人間ドックで胃ガンの疑いを指摘され、至急、内視鏡による精密検査を受けるように指示されました。
今回のドックは、その医師の態度から、いつもと違い、ただならぬ事態を予感しました。
そして、ドックの帰路、立ち寄ったコンビニで、一冊のノートを買いました。
自分の気持ちを綴る為に日記を書き始めました。
生まれてから日記をつけたのは、この時が本当に最初でした。
タイトルは「Diario de la vida」
スペイン語で「命(人生)の日記」と言う意味です。
スペイン語で書いたのは、その意味を家族の誰にも知られたくなかったからです。
ガンを予感したその日から、退院して職場復帰するまでの約2カ月間の日記です。
私にとりまして、これは一種の「お守り」みたいな存在です。
これから本当に苦しくなった時に、再び、そのノートを開けば、あの時の苦しみを考えれば、何でも乗り越える事ができるだろうと思います。
しかしながら幸いにも、この4年間、一度も開ける事は、ありませんでした。
一昨日、日本人の平均寿命が発表されましたが、昭和22年当時の日本人の平均寿命は
女性が53歳
男性が50歳
だったそうです。
昔だったら、今まさに平均寿命です。
大病を経験した私にとりましては、まさしく二度目の「人生の扉」を開けたいと思います。
竹内まりや「人生の扉」
大好きな曲です。
五十路を迎えた事、そして歳を重ねる事の素晴らしさを歌った曲です。
私は、まだまだやりたい事がたくさんあります。
そして、やらなければならない事もたくさんあります。
これからも健康に気をつけながら、ボチボチやって参ります。
最後に両親に感謝の言葉を捧げます。
特に昨年12月9日に突然の不慮の事故で、今も病床にあります母には、心から「お母ちゃん、ありがとう」と言いたいと思います。
そして「早よ、元気になれよ」と。
感謝。
黒田久一