
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2019.08.24
【創業者 黒田竹美&一郎の散骨】
昨年11月に旅立ちました黒田竹美の生まれ故郷である愛媛県松山市中島町(旧温泉郡)に
散骨に行って参りました。
温暖な瀬戸内の小さな島が母 黒田竹美が生まれ育った島です。
「怒和(ぬわ)島」と言います。
松山の高浜港から船で向かいます。
怒和島です
黒田竹美が勤めていた農協です
怒和島の案内看板
私と家内(弊社専務)
そして、姉夫婦の4人で、穏やかな瀬戸内の海に散骨しました。
2年前の5月に旅立った創業者である黒田一郎。
父は大阪出身だったですが、母と共に一緒に海へ。
黒田一郎は、大阪市福島区にあります中央卸売市場「大阪本場(ほんじょう)」内に
あります、青果卸会社 大果大阪のセリ人でした。
みかんの担当で、産地出張にこの島によく来ていました。
今から約60年くらい前の話です。
そこで農協に勤務していた竹美と出会い結婚。
つまり、この島のみかんが結び付けた結婚でした。
母は、昭和20年8月の終戦時、中国黒竜江省(満州)のハルピンに居ました。
敗戦の少し前にハルピンで母を亡くし、命からがら、引き揚げ船に乗って日本に帰国。
そして、この島に帰って来ました。
父と5人の兄弟姉妹でした。
そして、引き揚げてから数ヶ月もしない内に父が病死し、終戦のどさくさで、
両親を亡くしました。
戦争という悲惨な中で、両親を亡くしました。母は当時13歳でした。
今思い起こすと、母の性格は、明るさは、この穏やかな瀬戸内海で育まれ、
粘り強さは、極寒の地、ハルピンで育まれたのだと思うことがあります。
私は、50年ぶりに、この島に来て、しみじみそう感じました。
母は、10数年前、不慮の事故で、会社の寮の階段から転落し脳挫傷となり、
亡くなるまでずっと寝たきりでした。
姉は、ポツリと「元気な時、もっと、この島に連れて帰ってやりたかったね」と。
しかし、姉夫婦と私達夫婦が、母だけでなく父も一緒にようやく、散骨させてやれ、
喜んでくれていると思います。
来冬には、母にとり第二の故郷であるハルピンに行こうと思います。
極寒の2月に行こうと思います。
松花江(しょうかこう)という大河に忍びに行きたいと思います。
それが終われば、ようやく、一区切りが打てます。
少子高齢化が本格化し、食産業は、やはり、ますます厳しくなると思われます。
しかし、私たちFRUXグループは全社員一丸となり、時代に対応したビジネスを創出し
続けて参ります。
今期のグループスローガン
「前へ、もっと、前へ。」
です。
黒田 久一
2019.08.20
京都では、有名なパン屋さんがあります。
中でも、僕が大好きな惣菜パン「カルネ」です。
190円(税込)
いたってシンプルです。
ハムと玉ねぎが挟んであるだけ。
マーガリンが塗ってあります。
是非、京都に来られたら、志津屋さんのカルネを食べてください。
黒田 久一
2019.08.19
【チャレンジャー】
久しぶりのブログをアップします。
お盆が明けましたが、まだまだ猛暑が続きますね。
台風もまだまだ来そうで、とにかく、災害が少ない事、祈るばかりです。
先日来から、産経新聞で「話の肖像画」と言う連載記事があり、
ユニクロの柳井社長の半生記です。
これがとても面白い。
今や、ユニクロは、まさしく、グローバルリテイラーとなり、
海外の成長はめざましいです。
しかし、過去、海外出店では幾度となく失敗され、私自身、随分と前、
ロンドンに初出店された頃、ガラガラのユニクロのお店を見ました。
その時、日本の一ファッションリテイラーが海外に進出するのは、
やはり、難しいんだなぁと思っていました。
今日の連載記事の7話目、読んでいてとても面白いです。
お父さんが怖くて早寝の習慣がついたとか(笑)、大学時代は、マージャンやパチンコに
明け暮れいたとか(笑)、ジャスコ(イオン)をわずか9ヶ月で退職した事とか、
人間、柳井正も、そんな時期があったんだと。
それと昨日の連載には、ZOZOの前沢氏について「彼はビジネスマンよりエンターテイナー。
私は、あまり話題にはしたくありませんね」と、こちらも面白い(笑)
是非、産経新聞の柳井正の半生記をお読みください。
まだまだチャレンジャーの柳井正。
これからも見続けたい経営者の一人です。
黒田久一