
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2008.11.10
本日、奈良県の橿原市で「近畿地域農商工連携促進フォーラム」で、私は“事例発表者“として招かれました。
主催は、近畿農政局、近畿経済産業局、中小企業基盤整備機構近畿支部です。
共催として、近畿地域農商工連携促進協議会、奈良県です。
私は、実務者として、企業概要の説明をさせて頂き、その後、パネルディスカッションのパネラーとしても参加しました。
パネラーには、和歌山の梅干し屋さん、奈良県農業共同組合の営農部の方、中小企業支援センターのコーディネーターの方などでした。
このような会合に出る事自体、おこがましいので悩ましい限りですが、私は“客寄せパンダ”ゆえ(笑)、積極的に我が社の企業理念を発信し続ける事で、賛同して頂ける方々との出会いを大切にしたいと思います。
パネルディスカッションの事前のパネラーの方々との打ち合わせの1時間が、本音で語れ、一番充実したかも(笑)。
自社の事業の将来性を熱く語る場を与えて頂き感謝しています。
終了後、たくさんの方々と名刺交換出来ました。
感謝。
写真は、経済産業省の方の最後の締めのご挨拶をされている写真です。
自分で自分の登壇の写真を撮れないので(笑)。
明日は、岩手県へ参ります。
黒田久一
2008.11.09
先日、家内が一人ど東京に行く機会がありました。
ある研究会(スイーツ・デリ)に参加する為でした。
家内は、ほとんど一人で上京した事がありません。
家内に東京のだいたいの主要な場所を説明しても、ポカッーとしているので、まどろっこしくなって、東京23区の地図と方位磁石を手渡しました。
この時点では、2人ともマジでした。
家内が東京から帰るなり、その研究会で方位磁石を持参した事が、えらくウケたと(笑)、話しておりました。
うちの嫁さんは、全く方向音痴であり、持って行けと、その時点では私は“真顔”で言ったのですが、よくよく考えれば、自分でも可笑しくなりました。
今時分、東京のど真ん中で地図片手に方位磁石を見ている人を私自身も見たことがないので。
私は学生時代、7ヶ月かけ、リュックに寝袋姿で23ヵ国を一人旅しました。
いわゆるバックパッカーです。
あの頃は、インターネットも携帯電話もGoogleマップもない全くの「アナログ時代の旅」でありました。
あの頃は、大いに方位磁石が役立っていました。
その時の習性から、私は今でも、出張カバンに方向磁石をしのばせています(笑)。
また今でも海外に行って、一人で空いた時間にブラッーと散策する時、使います。
しかし今や、車にはカーナビ、そして携帯電話にもナビがあるので日本では全く必要ありません。
回りの方々から指摘されて、自分自身でも本当に可笑しくなりますが、中々、昔の習性は直りませんね。
でも、あれって便利やけどなぁ~(笑)。
アナログ人間のノスタルジーかもしれませんが…。
黒田久一
2008.11.08
今、鹿児島の指宿にいます。
指宿には、かれこれ18年くらい前から「サツマイモ原料」及び「天ぷら用冷凍サツマイモスライス」の件でよく来ました。
その頃から「天ぷら材料」の出荷が年々増え、安定的なサツマイモ原料確保をする必要性を感じ、九州管内の芋を求めて奔走した時期がありました。
当時、30歳過ぎだった事もあり、怖いもの知らずで(笑)、片っ端から加工業者さんを訪ね歩きました。
指宿に来ると、知覧にも立ち寄りました。
「知覧特攻記念館」にも数回行きました。
18歳や19歳で、これだけの手紙、文字が書けるのかと感心しました。
それと「覚悟」を感じました。
今日は、お昼は唐船渓(とうせんきょう)にて「そうめん流し」をご馳走になりました。
ここは「そうめん流し」の発祥の地らしいです。
年中やってるそうです。
池田湖に近く、ここからは開聞岳が一望できます。
開聞岳は「薩摩富士」とも呼ばれ、特攻隊員たちは、富士山を思いなから、旋回しながら、山に向かって敬礼をし、覚悟を決め飛び立っていったそうです。
我々は、平和な時代を過ごす事ができ、有難いと思います。
感謝
黒田久一