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沈まぬ太陽

2009.11.03

大学一年の次男に誘われて、今夕、家族で「沈まぬ太陽」を観に行きました。

息子曰く「お父さん、渡辺謙が、メチャ熱いらしい」と。

思わず「渡辺謙は、お父さんと同い年で50歳や、そしてお父さんも渡辺謙に負けへんくらい熱いで、そして共に大病を克服した。ムチャ似てる!」と言うと、次男も三男も、鼻で笑ったように「全然、ちゃうわ」と一蹴(笑)された。

ストーリーは、あの時代を懐かしく感じながら、

仕事とは…、
家族とは…、
信念とは…

を考えさせられた映画でした。

小6の三男には、ちょっと難しかったですが、少しも眠る事なく、釘付けで、それなりに理解してました。

私は、小学5年生(1970年)まで、大阪府豊中市に住んでいました。

そこは、伊丹空港に着陸する飛行コースで、まさしく飛行機のお腹の部分を真上に肉眼で見えるくらいの距離でした。

小さい頃は、その飛行機の爆音で、どの機種かを言い当てられるくらい、私は飛行機が、大好きでした。

そして笑われるかもしれませんが、高校一年の頃は、真剣にパイロットになりたくて、親に内緒で、宮崎の航空大学校の受験対策本も買ったくらいです。

でも、学力的にも、身長的にも(確か165センチ以上)願いが届かず(笑)、淡い夢と消えました。

今、日本航空は、国有化の道を歩もうとしています。

いろいろと問題も多そうですが、ナショナルフラッグキャリアの誇りを取り戻せるすよう、再建を果たして欲しいと願ってます。

黒田久一

月日を重ねて

2009.10.31

明日11月1日より、社内のグループウェアが新しく変更になります。

今までは、役員と営業社員を中心に主に「スケジュール管理」のみとして使っていました。

多機能でありましたが、使いこなせてない機能もたくさんありました。
便利であったのは、主力社員の予定表がいつでもどこでも(海外からでも)見れる事でした。

それと自分自身の時間の使い方を昔よりは、考えるようになりました。

そんな中ではありますが、明日からは、もう少しステップアップしまして、+「SFA」にバージョンアップします。

それと今までは、限定された社員だけであった「グループウェア」は、ほば全社員に展開し、スケジュール管理は一元化します。

そして営業社員を中心に「SFA」もくっ付ける事にしました。

「SFA」は、ご存知なように営業ツールの一種です。
http://www.crm.co.jp/salesforce1/sfa.html

このような仕組みを導入しようとした最大の目的は「情報の共有」に尽きます。

しかしフェイス・トゥ・フェイス(面と向かって)には、こんな道具は勝てません。

事務所を大部屋にしたり、工場を無理して連結させたりしたのは、この為です。

以前のグループウェアも今回のグループウェアもASP(外部サーバーを活用)方式でしたが、今回、会社が変わるので、そのデータが移せないらしく、今日までの私自身の行動予定表を念の為、プリントアウトしておきました。

一体、いつからこのグループウェアにお世話になって来たのだろうかと、自分自身でプリントアウトして行くと、2002年4月20日(土)まで、遡りました。

その日が、記念すべき“初入力”でした。

“初入力”の予定表には、
「14:00~15:00
黒田MG打合せ、グループウェア操作説明」
とあります。

つまり7年半前になります。

私は42歳でした。
当時、私は、社長ではなかったんや(笑)とあらためて懐かしく思いました。

役員の肩書きでもなく、単なる「マネジャー」でした。

その他にもその当月の予定を見ていたら、いろんな事を思い出しました。

そしてプリントアウトした、この7年半の「行動予定表」をパラパラとめくって見て、本当に幼稚な事をしてたなと言う思いと、頑張って来たなと言う思いと、今と全く進歩してないなと言う思いが、複雑に入り交じりました。

明日から新しいグループウェアに、全社員の行動予定が入力される訳ですから、やはり、充実した中身の濃い時間を刻んで行きたいなと、強く、心に誓いました。

黒田久一

“変化への対応”

2009.10.30

山口出張、2日目です。

昨晩、下関のホテルでテレビをつけてたら「すかいらーく」と言う店名(業態)が、とうとう、昨日で終わりを告げたと言うニュースがやってました。

1970年に一号店ができて以来、日本のファミリーレストラン、いや外食産業そのものを引っ張って来た「すかいらーく」

正直言いまして、本当にさみしい気持ちと、これが時代の流れなのかと、複雑な気持ちで、そのテレビニュースを見ていました。

私自身、大学卒業と同時に入社したのが、デニーズであり、当時は「ファミレス御三家」と言われ、すかいらーく、ロイヤルホストとデニーズがありがありました。

デニーズでは、本当にたくさんの事を学びました。

ちなみに私は、
昭和58年の入社で当時のファミレスの全盛の頃でした。

また私が、入社まもないコック時代に配属になったのが、名古屋の中村店でしたが、そこは、デニーズとすかいらーくが真隣りで、営業をしていました。

そんな立地にもかかわらず(そんな立地だからこそ)、中村店は、中京地区では、一番店でした。

仕事が終わってから、デニーズの社員やパートさんは、すかいらーくで食事をし、すかいらーくの社員やパートさんは、デニーズで食事をしと、お互いに顔見知りになり、情報交換しあい、本当に、のどかで、余裕のある時代だったかと思います。

また弊社では、すかいらーくさん(西宮の鳴尾浜の関西工場)ともお取引を頂いていた時代でありました。

「すかいらーく」と言う業態は、昨日でなくなりましたが、これからは「ガスト」としてやって行くとテレビニュースでは結んでいました。

まさしくファミレスの果たした役割は、外食する事が、まだまだままならない時代に、気軽に家族客を笑顔の食事提供の場として、社会的な機能が十分にありました。

そして時代が変わり、ファミレスは、コンビニや他の業態に取って変わられました。

「変化への対応」
言葉では、簡単であっても中々、やれません。

本当に難しいですね。

商売とは、ある意味、残酷ですね。

写真は、上は、ユニクロの山口本社です。
絶好調企業の“匂い”を嗅ぎたくて…。

今は、山口市のテクノパークに本社を移されていましが、せっかく山口県まで来たのだから、勝手に(笑)、本社前まで行き、記念撮影をさせて頂きました。

それと下の写真は、マックスバリュ西日本のディスカウント業態「ザ・ビッグ」です。

本当に、安いね。

黒田久一

黒田 久一

黒田 久一

惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。