
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2011.06.26
今週は、バタバタした?、いや充実した(笑)、一週間でした。
月曜日は、ある信用金庫の総代会。
火曜日は、終日、社内会議。
水曜日は、お取引先様の取引業者の会の総会。
この日に一泊二日で、ご同業(惣菜の大手企業)のご一行が静岡から7名来社。
木曜日は、静岡のご一行と有益な情報交換。
金曜日は、札幌から同業(青果仲卸大手)の友人が、泊まりで来奈。
会食を共にし、互いの将来構想を交換。
土曜日は、朝礼の場で、今期からの中国の研修生と初対面。
弊社グループが、中国人研修生を受け入れるようになって、7年になり、写真(白の白衣)の女性たち6名は、七期生です。
とにかく目が輝いています。
とにかく頑張ろうと言うのが体から出ています。
とにかく大きな声で元気よく挨拶するのです。
とにかくエネルギッシュなのです。
日本人は、いつの間にか、どことなくスマートになり過ぎ、そんなパワーを失いつつあります。
頑張らなければとこっちが、パワーをもらいます。
彼女らから、エネルギーをもらったところで、午後から、札幌の友人と共に、関西経営流通会と言う勉強会を通じて、神戸の上組(かみぐみ)さんの会社に行きました。
上組さんは、今や、乙仲(おつなか)業者と言うより、グローバル総合物流会社です。
連結売上高で2100億円、営業利益で200億円以上も叩き出す、恐ろしい会社です。
弊社グループでも、現在、コンテナ単位(冷凍コンテナ:専門的には、リーファ・コンテナと言います)で、中国から「天ぷら用の冷凍サツマイモスライス」を輸入しています。
だから関心があり、参加させてもらいました。
上組さんのコンテナヤードに隣接する最前線基地の最上階は、まるで、空港の管制室のようになっていて、コンテナの荷下ろしや積み込みを“目視でも”確認出来る体制が作られていました。
ご説明を受ける中で、神戸港の荷扱いが、激減しているとの事でした。
やはり、東アジア諸国は、国家プロジェクトとして、港湾整備も空港整備も「ハブ化」しながら推進しているそうですが、日本は、かなり遅れているようです。
「何たら手当て」とか、バカなばら蒔きは、止めて、国家としてのプロジェクトに投資して欲しいと、商売人の立場では、感じます。
この一週間、いろんな人々と出会う事も出来ました。
ありがとうございました。
明日は、千葉大学の植物工場の視察に参ります。
黒田久一
2011.06.23
先日、奈良の地元の信用金庫の「総代会」の総会の終了後の懇親会で、ある経営者の方から「黒田さん、大仏あんぱんを知ってるか?」と聞かれました。
僕は知らなかったので「知りません」とお答えすると、その社長さんは、いろいろと教えて下さいました。
そして、本日、わざわざ、その「大仏あんぱん」を買って来て頂き、事務所に届けて下さいました。
その「大仏あんぱん」を一個手にして、物凄い重量感で、びっくりしました。
どしーんとした(笑)感じのあんぱんです。
そして、食べてみたら、あんこ一杯のあんぱんで、大変美味しかったです。
思わず、牛乳が欲しくなりました。
『奈良に“うまいもん”無し?』と言われますが、その社長さんお薦めの奈良でのグルメスポットは、下記でした。
①大仏あんぱん
http://bon3te.blog10.fc2.com/blog-entry-182.html
②だんご庄
http://dango.kir.jp/
こちらは、よく利用します。
絶品です。
③みむろ最中
http://www.begin.or.jp/mimuro/item.html
④高山のおかき
有名なかきもちがあります。
東アジアで、履き物を製造するメーカーの社長さんですが、恐るべし。
行った事のないお店もあるので、自分で行ってみます。
黒田久一
2011.06.22
本日、弊社のお取引先様のM社さんの取引業者会の総会が堺のホテルでありましたので、それに合わせて、午前中、墓参り(堺の鉢ヶ峰)に参りました。
M社さんは、関西を中心に食品スーパーを展開している企業で、元気印の会社です。
午前中、久々に泉北高速鉄道の「泉ヶ丘駅」に降り立ちました。
この駅は、私の実家の最寄り駅で、予備校の一年間と大学の四年間の計五年間は、満員電車に揺られた思い出の駅です。
もうかれこれ30年以上前の頃の話です。
久しぶりに駅前のそれぞれのお店を覗いて大変懐かしく思いました。
一部、店舗が入れ替わってましたが、ケーキ屋も、果物屋も、本屋も、パン屋も昔のままでした。
本当に懐かしいです。
泉北ニュータウンは、大阪万博があった1970年前後に開発された街です。
まさしく「ニュータウン=近代的で新しい街」でした。
しかし、今日、駅前に立ち、感じたのは、昔のような活気がなく、正直、驚きました。
あの頃のニュータウンの活気溢れる時代を知ってるだけに、一抹の寂しさを覚えます。
そして、墓参りに行こうとバス停まで行くと、あいにく、1時間に一本のバスが出たばかりでしたので、泉ヶ丘駅からタクシーに乗り、墓参りに参りました。
タクシーの運転手さん曰く、「朝のバス停を見ていても、本当に学生さんもサラリーマンの方も少なくなりました。この街はお年寄りの街になりましたね。」と。
あの頃に20代や30代で、家を建てた人も70を越え、それぞれの子供たちは、それぞれ独立して、別に住むので、そうなってしまったのでしょうか?
ニュータウンではなく、オールドタウン?
そして帰りに光明池駅前のダイエーにも寄りました。
ここのダイエーは、もの凄く売ってました。
弊社の創業会社である三晃青果も果実をお取引を頂いていました。
久々に育った街を歩き、その30数年の時の流れを感じた一日でした。
黒田久一