
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2014.04.17
今から、30年以上も前の大学時代にバックパッカーをしてましたが、最近、めっきり減りました。
何故でしょう?
昔は、インターネットも携帯電話もiPadもない。
だから海外は、未知の世界でした。
だから、若者たちは、その未知の世界に夢を見て、飛び出したのか…。
今では、指先で、チョンチョンとやれば、全世界の情報が瞬時に入ります。
残念ですね。
もっと自分の足で歩いて欲しいですね。
昔、バックパッカー時代は、当然、金が無いから、ケチケチ旅行でした。
ユースホステルやYMCA、そして、民泊もしました。
夜行列車にも乗り、駅で寝袋でもよく寝ました。
安宿は、イギリスならB&B、つまり、ベッド&ブレックファーストに泊まり、ポーランドの時は、団地の一室で、完璧に家族が生活してました(笑)。
英語が通じず、ロシア語もポーランド語もわからず、身振り手振りでコミュニケーションを(笑)。
さて、スペインの安宿なら、オスタルでした。
ちなみにスペイン語は、例外なく全てHを発音しません。
ホテルは「オテル」、病院は「オスピタル」であり、おもてなしは「オスピタリダー」です。
オスタルは、たいてい、雑居ビルにありました。
一階が、バルになってたりします。
バスタブなど、当時は、ほとんどなく、シャワー(ドゥーチャ)だけでした。
トイレも共同であったりします。
バルセロナのサンツ駅で久々にバックパッカーの親子らしい3人組を発見。
思わず、嬉しくなりました。
僕も髪の毛がフサフサの二十歳の頃(笑)、リュックに寝袋のバックパッカーでした。
一番下の写真は、パエリャ鍋です。
パエリャという単語は、スペイン語では、通じますが、どちらかと言えば濁ります。
パェジャと発音します。
この一番大きな鍋で、200人前と書かれてました。
黒田久一
2014.04.17
おはようございます。
まだ、バルセロナです。
昨日、団体と離団しました。
一仕事を終えたような感じで、ホッとしました。
さて、今日は、列車に乗ってタラゴナと言う世界遺産の街にブラッと一人旅します。
いろんな発想を思い浮かべ、次のビジネス展開に繋げたいと思います。
“Think global,act local.”
私の大好きな言葉です。
私は、グローバルに貪欲に走り回って来た八百屋です(笑)。
多角的に視野を広げて、いろんなモノを見ると、いろんな発想が出来ると思います。
一番上の写真は、バルセロナで一番の「ランブラス通り」です。
離団後、こちらでホテルを探しました。そして、この通りに面したホテルに移りました。
私は、ランブラス通りが昔から好きです。
一番、バルセロナらしい場所です。
そして、バルセロナの港のヨットハーバーです。
一番下は、コロンブスの搭です。新大陸を発見した航海に出たのは、バルセロナの港からでした。
ここも有名な場所です。
今晩、あと一泊バルセロナに泊まると、明日はロンドンへ再び戻り、ロンドンで2泊し、帰国します。
黒田久一
2014.04.17
一番上は、スペインの有名紙です。
「エル・パイス」と「ラ・バンガルディア」です。
「エル・パイス」は、英語では、ザ・カントリーですね。
つまり「国」(英語ではnationかな?)と言う意味です。
この新聞に、昔、載ったことがあります。
かれこれ30年ちょっと前、スペイン軍によるクーデター未遂事件がありました。
一部の軍隊は、国会を占拠しましたが、結局、未遂に終わりました。
その時、関西外大のクラスメートとマドリードにいました。
クーデターが勃発した時のマドリードは、戒厳令が引かれました。
夜はまったく人影がなくなりました。
とにかく、危ないから、ホテルから一歩も出ないようにと言われました。
そして未遂に終わると、マドリードでは、市民による大規模なデモが行われました。
私たちも、興奮しながらそのデモに参加しました。
「独裁反対」「民主主義賛成」「スペインに自由を」という凄まじいシュピレヒコールでした。
そのデモの最前列に、アホな日本人学生二人がいて(笑)、何故か、僕だけが写真に、かぶってました(笑)。
翌日のキヨスコで、その新聞の写真を発見し、今でも、青春の1ページの記念として残しています。
この前、その友人と温泉旅行に行き、その新聞を持参し、昔話を楽しみました。
真ん中は、カフェ・コン・レチェです。
conは、英語のwithですね。
lecheは牛乳です。
ミルクたっぷりな感じです。
下は、bocadillo(ボカディージョ)と呼ばれる、スペインのサンドイッチです。
生ハムやチーズを挟んだだけのシンプルなサンドイッチですが、大変、美味しいです。
黒田久一