
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2011.06.22
本日、弊社のお取引先様のM社さんの取引業者会の総会が堺のホテルでありましたので、それに合わせて、午前中、墓参り(堺の鉢ヶ峰)に参りました。
M社さんは、関西を中心に食品スーパーを展開している企業で、元気印の会社です。
午前中、久々に泉北高速鉄道の「泉ヶ丘駅」に降り立ちました。
この駅は、私の実家の最寄り駅で、予備校の一年間と大学の四年間の計五年間は、満員電車に揺られた思い出の駅です。
もうかれこれ30年以上前の頃の話です。
久しぶりに駅前のそれぞれのお店を覗いて大変懐かしく思いました。
一部、店舗が入れ替わってましたが、ケーキ屋も、果物屋も、本屋も、パン屋も昔のままでした。
本当に懐かしいです。
泉北ニュータウンは、大阪万博があった1970年前後に開発された街です。
まさしく「ニュータウン=近代的で新しい街」でした。
しかし、今日、駅前に立ち、感じたのは、昔のような活気がなく、正直、驚きました。
あの頃のニュータウンの活気溢れる時代を知ってるだけに、一抹の寂しさを覚えます。
そして、墓参りに行こうとバス停まで行くと、あいにく、1時間に一本のバスが出たばかりでしたので、泉ヶ丘駅からタクシーに乗り、墓参りに参りました。
タクシーの運転手さん曰く、「朝のバス停を見ていても、本当に学生さんもサラリーマンの方も少なくなりました。この街はお年寄りの街になりましたね。」と。
あの頃に20代や30代で、家を建てた人も70を越え、それぞれの子供たちは、それぞれ独立して、別に住むので、そうなってしまったのでしょうか?
ニュータウンではなく、オールドタウン?
そして帰りに光明池駅前のダイエーにも寄りました。
ここのダイエーは、もの凄く売ってました。
弊社の創業会社である三晃青果も果実をお取引を頂いていました。
久々に育った街を歩き、その30数年の時の流れを感じた一日でした。
黒田久一