
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2008.09.10
今朝、朝早く起きて美観地区を散策しました。
地元の人、観光客などが散策を楽しんでおられました。
私の住む奈良県の大和郡山にも美観地区が指定されています。
私の自宅も「風致地区」と呼ばれ、ハデハデの外壁や色付きの瓦などは制限されています。ある意味、自由性はありませんが、街並みが守られるので仕方がないのかなと思います。
先日、1週間ほどベトナムに行ってましたので、溜まった業界新聞などを持って来てたので、その美観地区のベンチに腰掛けて読みました。
こう言うところは落ち着きますね。
商売柄、市場関連の記事にどうしても目が行きます。この落ち着いた雰囲気の中で、そんな記事に目を通していると、私が、この業界に入った頃の事をふと思い出しました。
私は、大学時代は父の仕事は絶対に継ぐまいと言う思いがあり、父の会社を初めて訪れたのは、サラリーマンを辞めてからだったので、もう26歳になる年でした。
結局、何やかやと言いながら(笑)、会社に入りました。
二代目として、やはり相当にプレッシャーがありました。
それまで一度も家業を手伝った事がなく、トラックにもターレット(やっちゃばを走り回る電気運搬車)にも全く乗った事もありませんでした。
符丁も手振りも知らずと、あまりにも何も出来なかった(笑)。
もう今は、セリがほとんどなくなってしまいましたが、当時はセリに立つには、符丁と手振りは必須でした。
当時のやっちゃばは、「教える」という風土はなく、職人の世界の如く「盗んで仕事は覚えろ」ってな感じでした(笑)。
生まれて初めてターレットに乗った日に、関連卸内を走っていて(本来走ってはダメなエリア)、食堂に突っ込み大破させたり(笑)、果物のお盆お供えセットを満載に積んだトラックで山越えの配達を命じられ、案の定、ハンドルを切りそこない、荷崩れし、商品の大半をパーにしてしまったりと…。
毎日毎日が失敗の連続でした。
ふとそんな苦い昔の事を思い出し、私も年の功ではありませんが、やはり「人を育てる事」の重要性を感じる歳になりました。
美観地区にて。
黒田久一