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哈爾濱(ハルピン)にて①

2010.04.26

「哈爾濱」
これで、ハルピンと読みます。

中国では「哈尓浜」と表記しています。

文革以降、中国では略字が使われるようになったからでしょうか。

母がこの難しい漢字をサラサラっとよく書いていました。

2001年の秋、私が、ハルピンに行く事があり、その時に手渡された地図がありました。

その時は、私一人でなかった事、そして、ハルピン郊外の山菜の水煮工場に視察に行く為にあまり時間がなかったので、出発前の早朝のわずかな時間を利用して、一人で、タクシーに乗って、その地図の場所に行きましたが、時間がタイトだったので、ぼんやりとしか、わかりませんでした。

今回のハルピン訪問は、母が過ごした場所を撮影に来るのが目的だったので、じっくり事前に調べていた事もあり、すぐに、自宅があった場所が特定出来ました。

あらためてその地図の正確さがわかりました。

50年以上前の住んでいた自宅周辺の地図をここまで正確に書けるものかと感心しました。

当時も今もハルピン一番の目抜き通り「中央大街通り」があります。

当時の日本人社会では「キタヤス街通り」と呼ばれていました。

そして「経緯街通り」の角にあたるところに、母の自宅がありました。
写真の建物の奥が自宅のあった場所です。

今、一階は眼鏡屋さんとケンタッキーフライドチキンになっていました。

姉に聞くと、母は、ハルピンで約8年間過ごしたらしいです。

それを逆算すると5歳~13歳まで過ごした事になります。

まさしく幼少期に一番、記憶に残る時期を過ごした事になります。

そして13歳にして“命からがら”不安いっぱいの中、引き揚げ船にて、帰国の途につく時の心情を思うと、大変だったのだろうなと思います。
引き揚げる直前にお母さんを亡くし、失意の中、遺骨だけを日本に持って帰って来た話を何度も聞かされていました。

何とか無事に写真及びビデオ撮影が出来ました。

「キタヤス街通り」は地図にも書いてありましたが、美しい石畳の通りで、ロシア建築もたくさんある街でした。

黒田久一

黒田 久一

黒田 久一

惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。