
黒田 久一
惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。
2009.07.18
今日は、野菜の事でも農業の事でもなく、個人的な事で、大変恐縮です。
今日、私は、お陰様で満50歳となりました。
嬉しいような(笑)、悲しいような(笑)…。
本音は、感慨深く、五十路を迎える事が出来ました。
私は、2005年の9月16日にガン宣告を受けました。
その後、手術を受け、胃と胆嚢を全摘し、無事、手術は成功しました。
私は、それまでは健康そのものであり、病気らしい病気を一度もした事がなく、ストレートにガン宣告を受けた時は、さすがに動揺し、宣告を受けた夜は、悔し涙と不安、そして猛烈な恐怖感で押し潰されそうになりました。
当時、長男は高校2年、次男は中学3年、そして三男は小学2年でした。
その日の夜、悩みましたが、長男と次男を呼び、私の病気の事を告白し、闘う姿勢を宣言しました。
さすがに小学2年生の末っ子には、病気の事を言う事も出来ず、寝顔を見ていたら、またまた涙が止まりませんでした。
私は、9月5日の人間ドックで胃ガンの疑いを指摘され、至急、内視鏡による精密検査を受けるように指示されました。
今回のドックは、その医師の態度から、いつもと違い、ただならぬ事態を予感しました。
そして、ドックの帰路、立ち寄ったコンビニで、一冊のノートを買いました。
自分の気持ちを綴る為に日記を書き始めました。
生まれてから日記をつけたのは、この時が本当に最初でした。
タイトルは「Diario de la vida」
スペイン語で「命(人生)の日記」と言う意味です。
スペイン語で書いたのは、その意味を家族の誰にも知られたくなかったからです。
ガンを予感したその日から、退院して職場復帰するまでの約2カ月間の日記です。
私にとりまして、これは一種の「お守り」みたいな存在です。
これから本当に苦しくなった時に、再び、そのノートを開けば、あの時の苦しみを考えれば、何でも乗り越える事ができるだろうと思います。
しかしながら幸いにも、この4年間、一度も開ける事は、ありませんでした。
一昨日、日本人の平均寿命が発表されましたが、昭和22年当時の日本人の平均寿命は
女性が53歳
男性が50歳
だったそうです。
昔だったら、今まさに平均寿命です。
大病を経験した私にとりましては、まさしく二度目の「人生の扉」を開けたいと思います。
竹内まりや「人生の扉」
大好きな曲です。
五十路を迎えた事、そして歳を重ねる事の素晴らしさを歌った曲です。
私は、まだまだやりたい事がたくさんあります。
そして、やらなければならない事もたくさんあります。
これからも健康に気をつけながら、ボチボチやって参ります。
最後に両親に感謝の言葉を捧げます。
特に昨年12月9日に突然の不慮の事故で、今も病床にあります母には、心から「お母ちゃん、ありがとう」と言いたいと思います。
そして「早よ、元気になれよ」と。
感謝。
黒田久一