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中国出張(42) 天ぷら屋弊社の原点

2010.11.07

市場に揚げ立てのでんぷら屋が、かたまって4軒程ありました。

蓮根の天ぷらや、いんげん豆の天ぷらや“練り天”などを目の前で、揚げながら、販売しています。

『天ぷら』は、私にとっては、まさしく“原点”です。

株式会社三晃は、元々は、奈良県中央卸売市場の関連卸棟内で、天ぷらやコロッケなどを揚げて、市場に来られる買い出し人向けと奈良県内の旅館や土産物店に卸をしていた会社です。

土産物店では、奈良に来られる修学旅行客の昼食を提供していました。

その土産物屋さんに併設した食堂向けの揚げ物です。

土産物屋さんのおかずは、パーツ(部品)ごとに、アウトソーシングされていました。

揚げ物は、天ぷら屋に、サラダや炊き物は、惣菜屋に、だし巻き玉子は、玉子焼屋に。

当時の三晃は、場外に社屋も工場もなく、市場の中だけでした。

油コテコテのお店で、本当に汚かった。

売り場も、ちっぽけな店舗でしたが、粗利率が高かった為に、汚かったですが、非常に利益率の高い商売をしていました。

当時、三晃をマネジメントしていた店長が、平成元年3月31日に退職後、急遽、私が、4月1日より、仲卸部門より、異動を命ぜられました。

私は、仲卸の仕事が面白くなって来た頃でした。

当時29歳でした。

後任が来るまでの“繋ぎ”(リリーフ)として、赴任したつもりが、結局、その後、本体(仲卸)に一度も復帰する事なく、22年が経過しました。

退職した前任店長は、退職後直ぐに独立し、弊社の主要取引先を持って行った為に、弊社の売上高が激減し、その苦しさの中から生まれたのが「天ぷら材料」ビジネスでした。

私は、しばらく、この関連卸の天ぷら屋の店長として、毎日毎日、油と格闘していました。

今でも、天ぷらを大量調理するなら、工場に入って、それなりのスピードと揚げ具合で作る自信があります。

体で覚えた事は、いつまでも、染み込でいますね。

今日、この市場の天ぷら屋を見て、私の“原点”を見る思いが致しました。

黒田久一

黒田 久一

黒田 久一

惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。