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(一社)日本惣菜協会総会②

2015.05.20

今回の総会では、海外向けの(一社)日本惣菜協会の団体名の英文名の変更などは発表されました。

総会には、野田聖子議員がお越しでした。

いつもお越しになられますが、相変わらず、お綺麗な方です。

記念講演は、ロックフィールドの岩田弘三会長のお話でした。

下記、私の友人が講演録をまとめていて、拝借します(笑)。

「これからの惣菜~ロック・フィールドのこれまで、これから」
        
㈱ロック・フィールドCEO岩田弘三

惣菜は大きくなれば、“できもの”と同じで潰れると言われた。
でもこの惣菜協会のメンバーの隆盛をみれば、明らかなとなり、惣菜はどんどん発展している。

最初、私は、1965年レストランHOOKを創業した。
神戸の元町2丁目、中華街の近くに、13席の店をオープン。
ヒレステーキ200g2ドル、720円で販売し大変繁盛した。
本場のヨーロッパをベンチマークして、徐々に店を良くしていった。
オリエンタルホテル副料理長にいろいろ教えてもらい、また彼が店に来てくれたことが大きい。
持ち出し制限の500$とは別にドルを持って、1か月欧州を見て回った。
フランス、ドイツ、イタリアと食文化がまるで違うことに大きなカルチャーショックを受けた。
特にフランス、イタリアの豊かな食文化には驚いた。
ガイドブックの無い時代、何もわからず見て回ったが、パリで偶然フォーションのデリカテッセンを見てびっくり。
ローマのPECK、ドイツのダルマイヤーも素晴らしい店でデリがすでに定着していた。
自分が日本で「これからは外食産業だ」と思っているとき、それらの店では中食がしっかり作られていた。
ひょっとしたらこれからは、外食というより中食なのではないか?と考えた。
米国へ行く、NYのバルドウイッチなどの米国流のデリを見て、中食、デリカテッセンをやろうと決意した。
石橋さんがブリジストンの名にしたように、岩田の私はロック・フィールドという名前にしようと決めた。
1972年ロック・フィールドを創業。
日本人のシェフと、フランス人のシャルキュトリーの職人と3人で始めた。
大丸神戸店にオープンした店は良く売れたが、3・7・12月だけ額黒字で、あとは赤字だった。
レストランと両方なので何とかなった。
欧米の真似の惣菜ではなく、日本流の惣菜をやろうと考えて、サラダというツールを使ってやることにした。
今のRF1になるまでには、いくつかの名前やロゴを経て、R、F分の1というRF1になった(1992年)。
惣菜のF1になりたいという思いもあった。
今のロゴマークはお客様にしかっりとイメージを植え付けられるようになった。
「惣菜」という言葉は、「野菜をつかい物に心を込める」と書く。ギフト撤退。
それまでギフトの売上で持っていた経営内容だったが、毎日のデリに変える決断をした。デパートごとに名前ブランドを変えてギフトを作っていたが、それを百貨店には反対されたが、RF1にブランド統一した。
それが今のRF1を作る転機だった。
若い社員が入社した理由を話してくれた。
「働いている母が惣菜を買って帰って来て、抱きしめてくれるのがとても嬉しかった。働く女性を応援するようなお惣菜作る会社だと思って入社しました。」
そごうなどデパートが悪くなっていたので、『地球健康家族』を路面店で出したが(1994~2010年)結果としてうまくいかなかった。
「Office meal service SALADA BAG」をオフィス街に出して、昼は大繁盛したが、夜・土日はダメで結局撤退。
1999年アトレ新浦安にRF1を出店。
駅は朝夕の通勤客は多いが、昼は居ないので、まるで自信は無かったが、「目の前にエスカレーターを作ってくれたら出る」という無理な条件を出したら通ってしまったので、しぶしぶ開店。
でもそれが今までずっと優良店で続いている。
出したかった路面店は失敗し、しぶしぶ出した駅ビルは成功。
これからでデパートは増えないが駅も新しくできる立地は50ぐらしかないと思うが、駅ビル、デパートはまだまだ可能性があると思っている。
当時いろいろデパートにギフトを販売し、神戸の工場が生産能力を超えて、汚水を垂れ流してしまった(1988年 )。
この恐ろしい失敗が、その後のロック・フィールドの経営に強い教訓を与えた。

<専修大学商学部見目教授とのQ&A>
ロック・フィールドはサラダ革命、新しい日本のデリカテッセンを生み出した企業。

●いかにブランド構築してきたか?個々の事業を推進しながら、シンボリックな企業イメージを作ってきたのか?

SONYが大好きで、ライバルをどこにしようか、ベンチマークをどこにしようかと考えた。
TOYOTAをベンチマークして、学ぼうと考えた。
同じころに創業し一世を風靡したケーキ屋の友人に教えを乞いに行った。
使っているデザイナーを紹介してくれた。
その後建築家の安藤忠雄さんと知り合って、大きな影響を受けた。
TOYOTAを真似ると言ったとき、当時の社員は「社長は気が狂った」と思っていたようだ。
一番は「モノづくり」。
JAPAN AS NO.1と世界に言わせたのモノづくり。
だからこそ目標とするのはTOYOTAだった。
生産性本部とのお付き合いからトヨタとつながりを作り、20数名の若手社員が研修を受けされてもらった。
さらにトヨタから人を回してくれ!と頼み、トヨタから出向してもらい指導を受けた。
車のパーツをキットにしてデリバリーするのと同じように、材料・製品の管理を行うようになった。
当時あったコンピュータ管理の倉庫は、「在庫を持たない」トヨタのやり方と合わないと言われ、1億8,000万もかかったシステムを捨ててやり直した。
工場の生産管理、店へのデリバリーシステムなどすべてトヨタに学んできた。
そのお蔭で今のロック・フィールドがある。
トヨタは厳しい時期があってもすぐにV字回復して凄い利益を上げている。
ミライという水素自動車の特許を公開し新しい時代を作ろうとしているのに、それに対してロック・フィールドの社員にはまるで思いが足りない。
もっともっとトヨタに学ばねばという声が社内で出てこないことがとても残念だ。
 
●人財育成について:ロック・フィールドの本社へ行くと、社員食堂でデパ地下で売っているものと同じようなものをみんなでワイワイ食べている。
保育所があり、働く女性に働きやすい環境を作り、それに岩田会長が強い関心を持って取り組んでいる。
日頃からの社員との向き合い方や期待するものは?
ある時工場でフィリピン人の社員に声をかけられた。
「社長、時給安いよ!!でも私はここが好きだよ」どうして好きなの?と聞くと「工場が清潔だし安全。社員食堂が美味しくて楽しい。
だから友達も誘って一緒に働く」と言ってくれた。
働く人の気持ちはお金だけではない。
5年前ならロック・フィールドもブラックと呼ばれる企業だったかもしれない。
でも今は働きやすい環境を少しずつ作っている。
これからは男女共同参画の新しい時代が来る。
静岡工場を作ったとき、多くの優秀な製造業企業がある中で、社員が集まるだろうか不安だった。
そこで、社員食堂と保育所の整備を進めることにした。
今では30数人から60数人の子供さんが保育所にいる。
人材募集がとても難しい現在も保育所はとても大きな採用の武器になっているようだ。
今の保育所の園長はとても素晴らしい。
私は工場へ行くと工場を見るより、まず保育所によって園長と話す。
保育所にいた子供が今年は大学を卒業する。
本当にうれしい。

●これからの中食とは?惣菜企業としてどんな役割を果たしていくのか?

未来医エキスポに出展した。
根菜中心の野菜を提供し、いろいろなディップを用意して食べてもらった。
子供たちが喜んで野菜を食べていた。
日本は課題先進国。
社会問題が山積み。
少子高齢化、人口減少は世界の最先端。
それらの課題をどう解決していくか?
生活習慣病が蔓延する。
どう新しい生活習慣を提案するか???どういう食事を食べるのか?どういう食事のシーンを作るのか?食事は一人で食べるのではなく、みんなで楽しく食べる。
そういう課題に取り組んでいきたい。

以上が友人のメモです。

黒田久一

黒田 久一

黒田 久一

惣菜のわかるオヤジのブログでは、フルックスグループ代表の黒田久一が、日々の出来事を発信いたします。